なるみパラダイス なるぱらなるぱら - [読売]桶狭間PRへ初スクラム - 新聞や雑誌で紹介(閲覧専用) - フォーラム

名古屋市緑区の地域ポータルサイト なるみパラダイス 地域情報発信と情報アーカイブとコミュニティスペース 鳴海・有松・大高・桶狭間・徳重・滝ノ水の地域情報など

当サイトの情報更新は令和4年9月中旬から主にWordpress版で行っています。

[読売]桶狭間PRへ初スクラム

このトピックの投稿一覧へ

なし [読売]桶狭間PRへ初スクラム

msg# 1
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2010/5/13 17:18
narupara  管理人   投稿数: 7555
合戦から450年、名古屋市緑区有松町と豊明市栄町

 今年は桶狭間の戦いから450年。古戦場跡地と伝わる名古屋市緑区有松町で15、16日、豊明市栄町で6月5、6日に、恒例の「桶狭間古戦場まつり」が開かれる。両地区の間では、かつて跡地を巡り論争もあったが、今年初めて共同で観光地図を作成した。最近の歴史ブームにあやかり、一緒にPRに力を入れ、全国から観光客を呼び込もうという狙いだ。節目の年を迎えて、両地区は新たな一歩を踏み出した。

■旧跡紹介の地図作成

 両地区は小高い丘をはさみ、直線で約850メートルの距離。合戦場や今川義元が討たれた場所が明確にわかっていないこともあり、歴史家の中でも諸説があった。

 豊明市市史編さん室の小塩淳さん(72)によると、江戸初期の俳人、斎藤徳元が江戸へ下った際の紀行文「関東下向道記」の中に、義元が果てたという塚を見たとの記述があるという。「この塚があるのが、現在の栄町です。ここは、1937年に国史跡『桶狭間古戦場伝説地』に指定されました」と話す。

 一方、緑区有松町の住民らで作る「桶狭間古戦場保存会」会長の梶野泉さん(61)は「信長の家臣の太田牛一が書いた『信長公記』を分析すると、有松町桶狭間の田楽坪が合戦場だったと推測されます」と指摘。田楽坪は桶狭間古戦場公園として整備され、「『駿公墓碣(ぼけつ)』と記された、義元を弔ったと思われる墓碑も出土しています」と説明する。

 ただ、2人とも「過去の経緯はあるが、豊明、名古屋の市境一帯が合戦場だったと考えるのが妥当では」と口をそろえた。

 両地区ではほとんどこれまで交流はなかったが、節目の年を前に昨春、緑区側が豊明市側に観光地図の共同作成を提案。1年がかりで、両地区の旧跡を網羅する地図を完成させた。地図は16日のまつり会場、両市区役所などで配布される。

 両市区の担当者は「今後も協力して、桶狭間の戦いを全国に発信していきたい」と意気込む。両地区にまたがる散策コースを作るなどして、観光の目玉にしたい考えだ。

 4月29日には戦死者を弔ったとされる豊明市の曹源寺で行われた慰霊祭で、初めて両地区の関係者が同席した。小塩さん、梶野さんは「歴史的なことだった」と感慨深げに話していた。

 ※桶狭間の戦い 永禄3年(1560年)5月19日、織田信長が約2000人の軍勢で、約2万5000人の大軍を率いて尾張に侵攻して来た駿河の今川義元を討ち取った合戦。信長の天下統一への足がかりともなった。

桶狭間PRへ初スクラム : 愛知 : 地域 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/aichi/news/20100512-OYT8T01064.htm

--
管理人です。twitterの個人アカウントは @narupara 、サイト更新情報は @narupara_news で緑区地域情報のハブ的役割を目指しています

投票数:20 平均点:5.50

投稿ツリー

  条件検索へ


ページの先頭へ戻る