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[毎日]城山三郎短編:発掘連合軍捕虜の苦境、朗読で--ピースあいち、7日に

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2010/8/8 11:40
narupara  管理人   投稿数: 7555
2010/8/4 毎日新聞(サイト上)に記事が掲載されていました。

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以下本文
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名古屋市緑区の名鉄有松駅近くに戦時中、名古屋俘虜(ふりょ)収容所鳴海分所があった。ほとんど記録が残っていない連合軍捕虜たちの姿を、同市出身の小説家、城山三郎(1927~2007)が描いていたことが分かった。初期の私小説で、全集にも収録されていない。同市名東区よもぎ台の戦争と平和の資料館「ピースあいち」は、俳優の天野鎮雄さんによる同作品の朗読会を7日に開く。

タイトルは「捕虜の居た駅」で、原稿用紙約20枚の短編。発掘した南山国際高校(豊田市)の演劇部顧問、馬場豊教諭によると、61年7月発行の「小説中央公論・夏季号ふるさと小説集」に掲載されたが、文庫化されておらず「城山三郎全集」(新潮社)や「城山三郎昭和の戦争文学」(角川書店)にも未収録。緑区の城山ファンから存在を知らされ、昨秋に中央公論のコピーを入手した。

作品で城山は、200人の捕虜がこん棒で殴られたり、けり上げられる様子や、使役先の工場での過酷な取り扱いを描いている。民間研究団体の調査によると、同分所は43年12月に開設、終戦時には米兵189人、英兵64人など計273人の捕虜がいた。名古屋市熱田区の工場で働かされていたが計22人が死亡、責任者の陸軍将兵が戦犯として有罪判決を受けている。

馬場教諭は「名古屋空襲の記載などもあり、丁寧に読み解けば戦時下の街の雰囲気も分かる。埋もれていたのが惜しい」と話す。

朗読会は7日午後4時半から。第1部は馬場教諭が指導する主婦たちによる戦時下の手記の朗読会。第2部で天野さんが「捕虜の居た駅」を読む。参加費1000円で定員60人。ピースあいちで電話予約(052・602・4222)受け付け中。

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◇あらすじ

戦後十数年目の有松駅で「ぼく」は、向かい席に座った女性に目を留める。大戦末期、勤労学徒として駅の改札係をしていた女学生だった。自身も熱田区の鉄鋼工場へ動員されていた。毎朝の通勤時、同駅裏の収容所から使役先の工場へ移送されていく捕虜の姿があった。付き添いの下士官兵らによる日常的な暴行、無表情に見つめる大人たち。女学生の後ろ姿から、その光景を自分と同様に嫌悪しているのが感じられた。淡いあこがれを抱きつつ、志願した海軍への入隊時に駅頭で女学生に見送られることを期待していたが--

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■人物略歴
◇城山三郎(しろやま・さぶろう)

名古屋市生まれ。特攻要員の海軍特別幹部練習生で終戦。一橋大卒業後、愛知学芸大で経済学講師。59年「総会屋錦城」で直木賞。「落日燃ゆ」(毎日出版文化賞)や「官僚たちの夏」など、政・官界に取材した作品も。自身の戦争体験を反映させた作品に「一歩の距離小説・予科練」「大義の末」など。

城山三郎短編:発掘連合軍捕虜の苦境、朗読で--ピースあいち、7日に/愛知 - 毎日jp(毎日新聞)
http://mainichi.jp/area/aichi/news/20100804ddlk23040183000c.html

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