鳴海地区でも裏方に住んでいたので猩々はいませんでした。
子どもの頃は表方と裏方は別の日に開催していたので裏方は「山車祭り」、表方は「猩々祭り」という別のお祭りという感覚で二度楽しんでました。
鳴海駅北側の扇川沿いに屋台が並んでいて、追っかけてくる猩々に銀玉鉄砲で応戦した頃が懐かしいです。
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町におはやしの音が響く季節。
緑区などの旧東海道かいわいの秋祭りでは、猩々という肩をいからせた2mはどの大人形を目にする。
猩々人形は、江戸時代の祭礼図にも神社のみこしのお供をする様子が描かれている。
明治以降、子どもたちを追いかけ回して遊ぶ文化が広まった。
赤い顔の面と竹枠組みの上半身の人形をまとっているのは、大概は地域の子どものお父さんだ。
緑区鳴海町の近藤典親さんによると、何体も登場する猩々はもともと、地元の人間が仕切る山車祭りとはあまり関係ないのだという。
町外から引っ越してきた人は、伝統の祭りに関わるきっかけがない。
そこで、児童らの父親でつくる「おやじの会」のメンバーに猩々の人形をかぶってもらい、祭りの盛り上げに一役買ってもらう。
近藤さんは「そうして新旧住民の境界線を取り払っていくすごい力を持っているんです」。
そんな話を聞くと、おそろしげな猩々の顔にも親しみが湧いてくる。
中日新聞 平成25年10月20日朝刊
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