なるみパラダイス なるぱらなるぱら - [CBC]ゴゴスマ - GO GO ! Smile ! -(2013/6/5放送) Re: 駄菓子屋 きょうか - スポットへのコメント - フォーラム

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[CBC]ゴゴスマ - GO GO ! Smile ! -(2013/6/5放送) Re: 駄菓子屋 きょうか

対象モジュール エリアスポット
件名 駄菓子屋 きょうか
要旨 旧東海道の街並みに、懐かしい駄菓子屋さん♪
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿.1 .2 | 投稿日時 2014/1/30 10:52
narupara  管理人   投稿数: 7555
駄菓子業界の"いま"を探る!

誰もが一度は食べたことがあり、どこか懐かしい気持ちにさせてくれる駄菓子。
あまり知られていませんが、実は愛知県は駄菓子王国だったんです。
話題沸騰の激売れ駄菓子から、惜しまれつつ姿を消す、人気駄菓子まで、
今回は、地元愛知県の駄菓子業界の"いま"を探ります!

hicbc.com :ゴゴスマ - GO GO ! Smile ! -
http://hicbc.com/tv/gogosmile/corner/nikkan/130605/
投票数:32 平均点:4.69
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2014/1/30 10:52
narupara  管理人   投稿数: 7555
昨年春に開店した名古屋市緑区有松の駄菓子屋「きょうか」に、昔懐かしいガラスのふたが付いた菓子の陳列ケースが据え付けられた。年末に閉店したばかりの覚王山日泰寺参道の老舗「児島屋」(千種区山門町二)から譲り受けたもの。駄菓子の問屋街、西区新道の卸業者が新旧の店の縁を取り持った。
こんぺいとう、ゼリービーンズなど色とりどりの菓子が並ぶ陳列ケース。客の子どもたちは十二カ所あるちょうつがい付きのふたを持ち上げ、あれこれと品定めする。
ケースは木製で「出し子」と呼ばれる。幅一・五メートル、奥行き一メートルほどで、床に置くとちょうど子どもの腰の高さぐらい。中に収納するブリキ製のかごは二層構造で、菓子の下に乾燥剤を入れられるようになっている。
今では作る職人もいなくなったという貴重な品。粘着テープで補強した所もあり、児島屋を長年営んできた児島忠義さん(78)、範子さん(77)夫婦が使い込んだ様子がうかがわれる。
きょうかは旧東海道が通る有松の古い町並みの一角にある。経営者の下村香代さん(46)は、幼いころ通った駄菓子屋の雰囲気を再現しようと店に置く古い物を集めている。駄菓子の景品のおもちゃなどの仕入れに行く西区新道の問屋、杉山商店が閉店を決めた児島屋を紹介してくれた。
「こんな箱のふたをワクワクしながら開けた思い出がある。私にとって宝箱みたいなもの」と一目見て気に入った。
児島さん夫妻は店舗兼自宅の建て替えのため、六十五年続いた店に幕を下ろした。「役立ててもらえるなら」と快くケースを譲ることにした。忠義さんは「古い出し子が有松の雰囲気に合って良かった。嫁に出したような気持ちだね」。
仕入れた駄菓子を量り売りするやり方もきょうかに伝授し、そのために使うはかりや菓子を詰めたフィルムの袋に封をする道具も一緒に譲った。老舗の駄菓子屋の歴史は新しい店に受け継がれる。
きょうかは水曜定休。電(623)1230。

中日新聞:懐かしい駄菓子ケース譲り受け 有松の「きょうか」:愛知(CHUNICHI Web)
http://www.chunichi.co.jp/article/aichi/20140130/CK2014013002000044.html
投票数:32 平均点:5.31
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2016/1/26 5:34
narupara  管理人   投稿数: 7555
また会えたのがうれしくて、つい発してしまう。代表的な名古屋ことばの一つだ。その優しく、温かい響きにこもるのは、相手への深い親しみと心遣い。最高のもてなしを追求し続ける花柳界では、さらに特別な重みを持つという。

初春のにぎわいが続く熱田神宮(名古屋市熱田区)。今月8日、粋な黒い着物でそろえた一団がしずしずと鳥居をくぐった。

名古屋の芸舞妓まいこが所属する「名妓連組合」恒例の初参り。先頭を歩くのは、舞妓歴3年の京けい(本名・下村萌香)さんだ。本宮で手を合わせ、「お客さんに親しんでもらえるよう、お稽古を頑張ります」と誓った。

芸事を磨き、少しずつ客との信頼関係を築くのが芸者の道。名古屋の花柳界には、そんな日常に欠かせない言葉があるという。

「やっとかめだなも」。「お久しぶりねえ」と相手に親しみをこめる方言だ。由来は「『やっと』会えた」や、「人のうわさも七十五日」より長い「『八十やっと日目』に会えた」との説がある。江戸後期には使われていたとされ、伝統芸能の世界に今も自然と息づく。

先輩たちが何げなく、しかし、心から発するこの言葉から京さんが感じるのは、歴史の重みだ。

「未熟な自分には使えない。芸者さん一人ひとりの経験と、花柳界の血と涙がこもった言葉だから」

名古屋市緑区出身。中学時代、短期留学した英国で日本の伝統芸能について尋ねられたが、何も知らなかった。世界に通ずる「着物での仕事」に興味を持ち、花柳界に憧れた。大学1年の秋、偶然見かけた芸妓に思い切って直談判。大学を休学し、この道へ飛び込んだ。

登竜門は名古屋芸者の定番「金の鯱しゃちほこ」。両腕と頬を支えに逆立ちして体を反らせ、約5秒間静止する。名古屋城の鯱を表現する力業の芸だ。

体の柔らかさが幸いし、2週間の特訓でクリアはしたものの、ゴールは見えない。日本舞踊に鳴り物、三味線、長唄。叱られて泣き、思い通りに出来ないもどかしさに泣いた。慣れない生活で体調を崩し、一時は入院もした。

お座敷には簡単に呼ばれない。鬢びん付け油で美しい曲線を描く日本髪の髪結い師を探したり、春夏秋冬を象徴するかんざしを手作りしたり。自分らしさを追求し、ただ前を向いた。指名がかかり始めたのは、2年目になってからだ。

しかし、いざお座敷に出ると、指先からつま先まで、神経をピンと張り詰めた先輩の動きに圧倒される。客との会話に困ることもある。「お稽古に終わりはない」。そう自分に言い聞かせる日々だ。

尾張徳川家の城下町として発展した名古屋。7代藩主・徳川宗春は祭りや盆踊りを奨励し、積極的に芝居小屋や遊郭を認めた。これが「芸どころ」の礎となり、戦前には3000人の芸者が花街を彩ったと伝わる。

しかし、財界の料亭離れ、旦那衆の減少でその数は年々減った。1958年からほぼ毎年続いた自主公演は2000年に中止。稽古や上下関係の厳しさから担い手も定着せず、現在の芸舞妓は19人にとどまる。

そんな業界の危機感から、11年に始めた公演が「やっとかめの会」。名古屋芸者の趣を伝える言葉として、その名が付けられた。

会は研さんの成果を披露できる貴重な場。そこで客は低料金で気軽にお座敷芸を楽しみ、芸舞妓と触れあえる。年1回の舞台は、常に団体客や家族連れで満席だ。

4年目を迎えた京さんは、連日お座敷の予定がびっしり入る。着物を新調した新年、「実り多い年に」との願いを込め、髪に稲穂のかんざしをつけた。目指すのは、あでやかに演じ、客と心を通わせられる本物の芸者だ。

「伝統を継ぎ、残していくのが私の役割。頑張って、いつか奇麗に『やっとかめだなも』と言えるようになりたい」。名古屋芸者の誇りを胸に、歩みを続ける。

◇「名古屋甚句」刻む碑

名古屋市熱田区の熱田神宮は、古事記や日本書紀に記された三種の神器の一つ「草薙神剣くさなぎのみつるぎ」をご神体としてまつり、年間約670万人が参拝する。境内の石橋「二十五丁橋」のたもとには、名古屋の芸者が今も唄と踊りを受け継ぐ「名古屋甚句」の碑が立つ。刻まれた歌詞は、幕末から明治にかけて、独特の節回しで流行したお座敷唄だ。

名妓連は2011年から年1回、普段の稽古場で自主公演「やっとかめの会」を開く。今年1月には、東海地方で唯一、寄席を楽しめる「大須演芸場」に初めて出演した。

やっとかめ 名古屋市 心通わす芸 努力の証し :地域 :読売新聞(YOMIURI ONLINE)
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/feature/CO011531/20160123-OYTAT50019.html
投票数:39 平均点:5.13

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