「居なくなってわかるもの」既去民思

既に去りて民思う

―既去民思―

[原文](宋名臣言行録)
既去民思
[書き下し文]
既に去りて民思う
[原文の語訳]
既に去った民もこの地を思った
[解釈]
去った後も慕われるような人こそ本当の正しい人、企業でもそうですね。
その時は評価されなくても、後々評価される。その地を去った住民も「あそこは良かった」と思い返すということです。
「孝行のしたい時分に親はなし」という言葉がありますね。あとから「しまった!」とならないようにしたいものです。
信念を貫くことに対し、時には反対や非難、誹謗中傷もあるかもしれませんが、できる人は、それに屈することなく成果をあげることができるのです。
短所を吊るしあげて追いやり、居なくなってから自らに足りないこと、相手の長所に気づいても手遅れです。
[参考]
既に去りて民思う。 – 味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

[中国古典一日一言]

平成27年(2015年)5月1日から平成28年(2016年)4月30日までの今日の一言は「中国古典一日一言」守屋洋(著)から、同月同日の一言をもとに自分なりに追記や解釈して掲載しています。

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