「正すために協力し合う」救過不贍

過ちを救いて贍らず

―救過不贍―

[原文](史記 酷史伝 杜周)
九卿碌碌奉其官、救過不贍
[書き下し文]
九卿碌碌として其の官を奉じ、過ちを救いて贍らず
[原文の語訳]
九卿はその官職に付き従うだけで、過ちを正すのさえ充分にできない
[解釈]
やることだけやって、それ以上に正すことはしないということです。
越権行為であったり余計なさざ波を立てたくない、仕事を増やしたくないから、たとえ直す必要があっても今のままで特に支障がなければそのままにしておくということです。
気がついたときに早めに手立てをしておけば、後から大事にならずに済むかもしれないのに、小さいところで見て見ぬふりをすると後の始末に困ってしまいます。
また、故意ではなく、いま自分がすべきことが手一杯で他に目が行かないという意味でもあります。それでいえば、自分のことさえ正すことができないということに。体調不良でも仕事を休むことができず復調が充分にできないということにもなります。
自分の役目を無難にこなすだけでは進歩はなかなかできませんが、無理をして自分を犠牲にすることも止めなくてはいけません。普段から周囲の協力を得て、正すためにお互いの目や手の貸し借りができるようにしておきたいものです。
[参考]
史記 2

[人を動かす名言名句集―21世紀に生きる]

平成28年(2016年)9月1日からから平成29年(207年)6月15日までの今日の一言は「人を動かす名言名句集―21世紀に生きる」からの一言をもとに自分なりに追記や解釈して掲載しています。

[中国古典一日一言]

平成27年(2015年)5月1日から平成28年(2016年)4月30日までの今日の一言は「中国古典一日一言」守屋洋(著)から、同月同日の一言をもとに自分なりに追記や解釈して掲載しています。

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