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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2010/4/15 12:11
narupara  管理人   投稿数: 7555
合戦から450年、古戦場公園に銅像~緑区彫刻家制作~

 織田信長が今川義元を破った桶狭間の戦い(1560年)から今年で450年になる記念に、名古屋市緑区の彫刻家工藤潔さん(68)が、2人の像をつくった。特にりりしい姿の信長像は、時代考証をもとに、よろいも当時の最先端を走るスマートなものにした。「信長と義元」はブロンズ像にして近くの桶狭間古戦場公園に並べ、5月16日に開く450年記念式典で除幕する。(前川和彦)

 像は、桶狭間古戦場保存会が450年記念事業の一つとして、古戦場公園から約800メートルの所に住む工藤さんに制作を依頼した。工藤さんは「作るからには後世の批判にも耐えるものを」と当時のよろいやかぶと、刀剣などの武具や、はきもの、衣装の材質などをするため、各地の博物館を回った。
 近くに住む、戦いに詳しい郷土史家の梶野渡さん(90)や名古屋市熱田区の日本(かっちゅう)武具研究保存会理事、小川伸夫さん(61)にも指導を受けた。
 工藤さんによると、戦い当日の具体的な装束はわからない。しかし、新しいもの好きな信長は、ポルトガル人やスペイン人らの武具を研究して日本人に合うように改良したといわれており、それまでのごてごてした鎧(よろい)や兜(かぶと)ではなく、スピーディーな戦いに合うようなスマートなものを着用していたらしいという。そこから、右手にやりを持ち、キッと正面をにらんだ信長像を作り上げた。前に出ようという気迫で、一歩踏み込んだぞうりが曲がっている。
 また、今川義元は、映画やテレビで公家文化に染まった軟弱なイメージが強調されることが多かったが、工藤さんは「当時『海道一の弓取り』と呼ばれ、所領を尾張まで拡大したほど武道にもたけていた。そんな強いイメージでつくった」といい、床几(しょうぎ)に座り、左手に弓、右手に軍扇を握る姿にした。信長像は高さ1・8メートル、義元像は1・6メートル。それぞれ高さ1メートルほどの台座に載せる。
 工藤さんは「信長の全国統一への第一歩となった戦いだが、古戦場が住宅地の中に埋没してしまって、シンボルらしいものもない。この像で古戦場が多くの人の関心を引くようになれば」と話している。

asahi.com:桶狭間 両雄再び-マイタウン愛知
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