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[中日]<キラリ★人生> 70代から「桶狭間の戦い」を研究

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2013/7/14 12:16
narupara  管理人   投稿数: 7555
織田信長と今川義元が戦った有名な「桶狭間の戦い」(一五六〇年)。郷土史家の梶野渡(93)さん=名古屋市緑区=は、その史実に迫ろうと、今も地道な努力を続ける。
合戦の舞台として伝わる史跡は、愛知県豊明市と、隣接する名古屋市緑区有松町桶狭間地区の二カ所にある。約一キロしか離れていないが、どちらが本当なのかといった論争は長く続いている。
梶野さんの自宅近くの書斎「悠々庵」を訪ねると、戦国時代の歴史に関する書籍が多数並んでいた。自身が顧問を務める桶狭間古戦場保存会の勉強会も、ここで開く。桶狭間地区に梶野姓が多いのは「もともとは、南北朝時代の南朝の落ち武者の一族なんです」と、地元ならではの歴史を説明してくれた。
地元で生まれ育って長年、農業に従事。本格的に郷土史家の道を歩み始めたのは、七十歳を過ぎてから。古文書の読み方などは本を買うなどして、独学で勉強した。自由になる時間が増えたことや、郷土史を調べていた父親の影響もあるが、何よりも地元の歴史的な合戦の真実を明らかにしたかったという。
「生涯学習センターで講師をよく務めるようになったのは、八十歳すぎだね」
地元にあった保存会の活動も活発化させ、緑区の桶狭間古戦場公園に二〇一〇年、市にも働きかけて信長と義元のブロンズ像などを完成させた。見学者らのガイド役を務めることもある。
義元の本陣がどこにあったのか、定説はない。梶野さんは、この辺りと思う地元の住宅地の一角に「おけはざま山」「今川義元本陣跡」などの石碑を自費でたてた。信長の進撃ルートも諸説ある。梶野さんは自著で「信長軍は織田方の砦(とりで)から豪雨の中、少し迂回(うかい)して東進。本陣近くに進み、雑木林に潜伏して突撃の機をうかがった」との持論を展開する。
梶野さんの研究者としての強みは地元の地形に精通し、地元の古文書や古地図、伝承などを丹念に集められること。そして、もう一つ強調するのは、自身の「戦場体験」だ。
二十一歳のとき、中国大陸に渡って、六年余り華中地域を転戦。占領地区の人心を安定させる宣撫(せんぶ)工作に携わり、死ぬか生きるかの場面も多かった。「銃弾は合計九発もらいました」
梶野さんが戦地から持ち帰った大量の写真を、研究者がまとめた「『華中特務工作』秘蔵写真帖」(彩流社)は日中戦争の実相を伝える貴重な資料になっている。
「日本は神国だ。神風が吹くなんて、当時言われたでしょ。だから戦争に突っ走った。歴史は正しく伝えないといけないと、痛切に思ったのです」。その一念が活動、研究の支えだ。

中日新聞:<キラリ★人生> 70代から「桶狭間の戦い」を研究:暮らし(CHUNICHI Web)
http://www.chunichi.co.jp/article/living/life/CK2013071002000004.html

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