「素直に改める勇気をもつ」過而不改、是謂過矣

過ちて改めざる、これを過ちと謂う

―過而不改、是謂過矣―

[原文](論語 衛霊公 29)
子曰、過而不改、是謂過矣
[書き下し文]
子曰く、過(あやま)ちて改めざる、是を過ちと謂(い)う。
[原文の語訳]
孔子が言う、人は誰でも過ちを犯すものだが、過ちを犯した後にそれを反省しないでいることが、本当の過ちである。
[解釈]
失敗や過ちを改善しようとせず、そのままにしておくことが(大きな)過ちなのです。
一度は仕方ないにしても同じ過ちを二度繰り返さないように原因をしっかり追究する気持ちが大事です。
できる人でも失敗はします。ただ違うところは、恥じることを気に留めず即座に非を認め、原因を追究して勇敢に改めることができます。
また、できる人は万全を期しながらも「安きに居りて危うきを思う」だったり「勝に急して敗を忘るるなかれ」などを常に心に留め、すぐに改善に取り掛かったり「失敗した場合の打開策」を先に練っているものです。逆に残念な人はすぐに言い訳や弁解にはしります。「言葉よりまず行動を」を真逆に表す典型的な例といえそうです。
トヨタの「5回のなぜ?」は過ちの本質を探り出し、根源から絶つという方法として評価されています。
過ちを改めるには自分自身でその過ちを認識する事がまず大事で、その気付きが無い限り改めようがありません。また、人から指摘されても、それを過ちだと認められないと同じく改めようがありません。
何度も目にしながら、見て見ぬ行為が悲惨な事件を起きる要因になったこともありましたね。
会社でもリーダーや上層部が過ちを認めずに突き進んだ結果、業績が悪化するというケースが報道で見受けられます。
過ちては改むるに憚ること勿れ
[参考]
論語四十八の言葉(36)「過而不改、是謂過矣(過(あやま)ちて改めざる、是れを過ちと謂う。)」:エンジニアの視点・本音-木村芳幸のブログ

[中国古典一日一言]

今日の一言は「中国古典一日一言」守屋洋(著)から、同月同日の一言をもとに自分なりに追記や解釈して掲載しています。

コメント受付中です どなたでもコメントできますがスパム対策を施しています

タイトルとURLをコピーしました