「途中でやめたら、やってないと同じ」掘井九軔、而不及泉、猶為棄井也

井を掘ること九軔、而も泉に及ばざれば、なお井を棄つと為すなり

―掘井九軔、而不及泉、猶為棄井也―

[原文](孟子)
掘井九軔、而不及泉、猶為棄井也
[書き下し文]
井を掘ること九軔(きゅうじん)、而も泉に及ばざれば、なお井を棄つと為すなり
[原文の語訳]
井戸を九仞(約14.2m)まで掘り下げても泉に及ばないからといって、そこで井戸掘り止めるのは、これまでの努力も全て放棄したことになる。
[解釈]
九割終わったところで止めてしまっては、やらなかったことと同じです。井戸を掘っていて、もうちょっとで水脈に届きそうなところで掘るのをやめたら、それは井戸ではなくなってしまいます。そこまでやったのなら、途中で放り出さずに最後までやり遂げましょう。
ただし、闇雲にやっていてはいつ到達すのか、またはまったく見当違いなところだったら、いくら掘り進めても水脈に届くわけはありません。しっかりと調査や分析、準備をした上で取り掛かり、そして目的を達するまで続けるという一連の流れが大事なのです。
[参考]
孟子を読む

[中国古典一日一言]

今日の一言は「中国古典一日一言」守屋洋(著)から、同月同日の一言をもとに自分なりに追記や解釈して掲載しています。

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