「寡黙で邪魔せず」希言自然

希言は自然なり

―希言自然―

[原文](老子 第二十三章)
希言自然
[書き下し文]
希言は自然なり
[原文の語訳]
寡黙であることが自然の姿である
[解釈]
自然は言葉を発することはありません。人も同じように我欲を出さす言葉少なめな自然な状態に落ち着くのが良いということです。
葉も風がないと動きませんし、風によって擦れることではじめて音が出るのです。成長もできるだけ多くの葉が日光を浴びられるように他の葉の邪魔しないよう全方向に広がります。
寡黙で受動的、何事にも他に干渉しないようにすることで、自ら波風を立たせないという老子らしいのかもしれません。
自ら自然無意識と発する言葉は少ないものですよね。「木鶏」という言葉もあります。
組織もトップが口数少なく腰を据えて構えていると安定するものです。
黙々と仕事に打ち込む職人の姿は見ていて綺麗ですし無駄な動きがないものです。
[参考]
老子が「おしゃべり」を禁じたワケ

[中国古典一日一言]

平成27年(2015年)5月1日から平成28年(2016年)4月30日までの今日の一言は「中国古典一日一言」守屋洋(著)から、同月同日の一言をもとに自分なりに追記や解釈して掲載しています。

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