平成の最後の最後の「平成初」は何になるんだろうか #平成最後 #平成初

平成の最後の最後の「平成初」って何になるんだろうか?などとくだらないことを考えてみる。

平成最後

平成最後

#平成最後 #平成初

それよりも新元号が事前に漏れるフリが大きい気が…(^^;

これも余談。この時期だから。
マナーという「(常識的な)暗黙のルール」が守られなくなったから、規制とか規則という「(非常識的な言動を抑止する)明確なルール」が設定されるようになったわけですよね。
そのルールが限定的ながら一時的に許されるようになると、また好き勝手なマナー違反が横行するんですよね。

Barakan Morning(バラカン・モーニング)の再再開あるか?!

先日、twitterアプリで InterFM と BARAKAN BEAT のアカウントが BARAKAN MORNING をフォローしたとの通知がきました。
現在、平日の午前中にやっているTokyo Brilliantripsの長野美郷さんが4月からBSフジLIVEのプライムニュースの木・金曜日キャスターを担当するということで、ひょっとしたら再再開あるのかも?!という淡い期待をしているところです。

こんなこともありましたね。

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キャンペーン · 【署名再開・リツイート希望】 #BarakanMorning 音楽の魔法を消さないで! #BarakanBeat #InterFM ⇒ · Change.org

超絶とは

「超絶」という単語を耳にする機会が増えた気がしていたのですが、調べてみると夏目漱石著や宮沢賢治著にすでに記されているんですね。最近の言葉だと思っていました。
意味合い的には「超越」と同じようですが、「絶」となっているだけで「想像をはるかに超える」と「想像を絶する」のように衝撃度の印象が違ってきますね。

ちょうぜつ【超絶】の意味 – goo国語辞書
http://dictionary.goo.ne.jp/jn……aning/m0u/

ヒトは言葉も原点回帰するのか

解読できない

自分は絵文字は使いません。
facebookでの際のGJ!とか、絵文字ではなくて感情表現のイラストを使うくらい。

先日、こんな話題がありました。

176種類の絵文字
ニューヨーク近代美術館(MoMA)のデザインコレクション担当者のPaul Gallowayは、公式ブログへの投稿で、ドコモが1999年にリリースした176種類の絵文字を収蔵コレクションに加えると発表した。
日本で生まれた絵文字は、「Emoji」として世界のユーザーに親しまれ、それぞれの国で特徴的なデザインが生み出され続けている。

ドコモが1999年にリリースした「絵文字」が「Emoji」としてMoMAに収蔵される – エキサイトニュース
http://www.excite.co.jp/News/it_g/20161028/Mdn_50629.html

たぶんLINEとか個人間でのメッセージのやりとりでは絵文字が氾濫してるんでしょうね。
そんな絵文字文化をみていて、自分には解読できない部分もあると考えます。
同じ絵文字でも前後の流れから違う意味を持つことはあるでしょうし、そうなると、絵文字は感じよりも象形文字に近いんじゃないかなって。
時間が経過して文章を書いた人、受け取った人は読み直せるのだろうか?その前に読み直す機会すらないか。

文字のやり取りが中心で直接会話をしなくなってくるこのご時世、それこそヒトの言葉に関する原点回帰しているように感じる今日この頃です。

注意も一方通行にしない

難しいなぁ。「子どもが悪いことをしたらその場で怒らないと、時間が経ってからだと、なぜ怒られているのか理由を忘れてしまうから」と言われたことがあります。乳幼児と小学生以上かで対応が違うのですかね。
それから特定の行為に対して注意をする場合は、その動作(指摘する動作を含めた一連の流れ)をもう一度やらせることで、注意点を覚えさせると聞きました。
確かに注意をする中で「どうしてそういう行為をしたの?」と尋ねることも含めるといいのかもしれません。

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買い物に出掛けたスーパーの駐車場で、大きな怒声が聞こえてきた。見ると、父親とおぼしき男性が小学生くらいの男の子を叱っている
▼聞こえた声から推測すると、息子が万引したようだ。しかも初めてではない。父親は恐ろしいけんまくで、息子は身を縮めてうつむいていた。悪いことをした子どもを親が叱る。当たり前の光景なのだが、心に引っ掛かるものがあった。ちょうど読み終えた本のせいだった
▼「反省させると犯罪者になります」(岡本茂樹著、新潮新書)。何とも刺激的な題名だが、目からうろこが落ちる一冊だった。著者は中高校の教師を経て大学教授となり、刑務所にいる受刑者の更生支援にかかわっている
▼子どもが問題行動を起こした時、「即座に反省を求めてはいけない」と著者は説く。反省を強いられると、人は自分の感情を抑圧し、「世間向けの偽善」を身につけてしまう
▼大切なのは「なぜ、この子はそんなことをしたのか」と周囲の大人が一緒に考える視点を持ち、子どもの声に耳を傾けることだという。自分の不満やつらさを吐き出せて初めて人の心は動き、真の反省に至る。それを受刑者たちから学んだという著者の言葉は重みがあった
▼駐車場を通る時、あの男の子のことを思う。なぜ万引なんてしたのか。誰かに気持ちを聞いてもらえただろうか。

買い物に出掛けたスーパーの駐車::滴一滴:コラム:山陽新聞デジタル|さんデジ
http://www.sanyonews.jp/articl……tekiitteki

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