「石橋を叩いて渡る。も寛容に評価を」慮事深遠、則近於迂矣

事を慮ること深遠なれば、則ち迂に近し

―慮事深遠、則近於迂矣―

[原文](宋名臣言行録)
上謂晦叔曰「司馬光方直、其如迂闊何?」晦叔曰「孔子上聖、子路猶謂之迂。孟軻大賢、時人亦謂迂闊、況光豈免此名?大抵慮事深遠、則近於迂矣,願陛下更察之。」
[書き下し文]
事を慮(おもんばか)ること深遠(しんえん)なれば、則ち迂(う)に近し…。
[原文の語訳]
深謀遠慮な人は迂闊に近い
[解釈]
帝の哲宗が呂公著に対して「司馬光は実直だが考えや言い方が回りくどい」と漏らします。すると呂公著は孔子や孟子を例にあげて「その言動は深く考えて慎重がゆえなのです。そこをご考慮ください」と回りくどく思えるが正しい結論を求めているのだから、「その過程である」と長所に含めて評価するように促しました。
事にあたってあまりに深く考えを凝らすと思考が鈍くに受け取られる。しかし、そこに深謀遠慮があるので、実際に事にあたるときは恐れずに挑むことができる。
リーダー論にも「結果だけではなく、その過程を褒める」とあります。
一見すると理解し難い言動でも、それは自分の合理化という安直な物差しで推し量っているだけかもしれません。正しい言動での過程であれば、枠を外して長所として評価してあげましょう。
遠回りすぎるくらい慎重に考えるのが良いです。が、人間の心理としてはすぐに結論を求めたくなるので、待ってる方はイライラしてしまいます。それでも、それぞれが納得いく結論を導くには迂遠に思われても熟考しなければいけないときもあります。→石橋を叩いて渡る。
トヨタのカイゼンも、日々の試行錯誤の上で行われています。これも「考えながら実践しながら結果を出している」という意味では似ているかも。
一方で、そう評価してもらう側だったとしても、あまりに考えすぎると自分の中で「明極まれば、則ち察に疑い多し」となってしまう場合もあります。急がば回れとも言いますが、石橋を叩いて壊さないように気をつけないと。
[参考]
司馬光

[中国古典一日一言]

今日の一言は「中国古典一日一言」守屋洋(著)から、同月同日の一言をもとに自分なりに追記や解釈して掲載しています。

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