「手元での用意を怠らない」遠水不救近火也

遠水は近火を救わず

―遠水不救近火也―

[原文](韓非子 説林)
犁鉏曰、假人於越而救溺子、越人雖善遊、子必不生矣。失火而取水於海、海水雖多、火必不滅矣。遠水不救近火也。今晉與荊雖強、而齊近。魯患其不救乎。
[書き下し文]
犁鉏(りしょ)曰く、人を越より仮りて溺子を救わむとせば、越人と善く遊ぐと雖へども、子は必ず生きざらむ。火を失して水を海より取らば、海水多しと雖へども、火は必ず滅(き)へざらむ。遠水は近火(きんか)を救わず。今、晋と荊とは強しと雖へども、而も斉は近し。魯の患其れ救われざらんか、と。
[原文の語訳]
犁鉏が言う「(遠くにいる)越人の手を借りて、溺れた子どもを救おうとしたとします。その越人がどんなに泳ぎが得意でも、その子どもが助かることはないでしょう。失火した時、海からわざわざ水を持ってこようと考え、実際に海水がどんなにたくさんあったとしても、火を消せることはできないでしょう。遠くにいくら水があっても、近くの火事を消すことはできないのです。今、(子どもを仕えさせようとしている)晋と荊は強国であったとしても、(魯とは遠く離れているので)隣国の斉から、いざ攻めこまれた際には、魯の助けにはならないでしょう。」
[解釈]
そのままでいくと「消防車よりも消火器」「レスキューよりも浮き輪」、来るのを持っているうちに最悪の事態となってしまうとなります。
隣国である斉からの圧力に悩んだ魯の王様が子どもたちを遠方の大国に仕えさせ、いざという時に援助を求めようと考えましたが、それに対して重臣が諫言するために挙げた例えのうちの一つ。
遠くにいくら水があっても、近くの火事をすぐに消すことはできません。遠方のものでは急ぎの役に立たない、緩慢な方法では切迫した問題の解決にはならないのです。
飛び道具での後方支援を期待していたら、いざという時に思わぬ強風や弾切れなどで援護射撃してもらえない なんてこともありえます。白兵戦での準備を怠ってはいけないのです。
遠い親戚より近くの他人とも言います。最近の「共助による地域防災力の強化」がこの考え方ではないでしょうか。
できる人は自分のことをよくわかっているので、まずは自力でどこまでできるか認知できるので、何が足りないか理解でき、身近な人に適切に助けを頼めます。その結果、適材適所、効率よく人を動かし即効性ある成果をあげることができるのです。一方でよく分かってない人は、自分にとって何が足りないのか理解できてないので、安易に「なんでもやってくれる人」に頼もうとします。そんな人は引く手あまた、順番待ちをしているうちに無駄な時間が過ぎ、結果として気を逸してしまうのです。
また、知識があっても、それを臨機応変に素早く活用できるかは身についているかどうかができる人とできない人との差にもなりそうです。身についていたり慣習化されていれば、頭の奥から掘り起こしてくる手間などかけず、素早く言動に移せます。
繁華街の飲食店なら壁や屋上に掲げている大きな看板よりも、街頭での直接渡す手渡しチラシの方が効果が大きいことも考えられます。
大きな商売でないなら、資金繰りを考えるとカードや手形、売掛よりもいつもニコニコ現金払いの方が良いですよね。
外注ばかりに頼っていたり、他人をアテにしてばかりしていると、いざという時に間に合わないということもあります。
イベントばかりに売上を頼っていると、荒天でイベントが中止になった時どうする?というのはかなり現実味を帯びていますね…(^^;
[参考]
遠水は近火を救わず:原文・書き下し文・意味 – Web漢文大系

[中国古典一日一言]

今日の一言は「中国古典一日一言」守屋洋(著)から、同月同日の一言をもとに自分なりに追記や解釈して掲載しています。

コメント受付中です どなたでもコメントできますがスパム対策を施しています

タイトルとURLをコピーしました