「愛も徳も見返りを求めない」愛者憎之始也、徳者怨之本也

愛は憎しみの始め、徳は怨みの本なり

―愛者憎之始也、徳者怨之本也―

[原文](管子)
衆人之用其心也、愛者憎之始也、徳者怨之本也。唯賢者不然。
[書き下し文]
衆人これその心を用いるなり、愛は憎しみの始め、徳は怨みの本(もと)なり。ただ、賢者は然(しか)らず
[原文の語訳]
凡人の心持ちでは、愛が憎しみの始めとなり、徳は怨みの本となる。しかし賢者は違う。
[解釈]
大勢の人の心理状態は、愛情は憎悪に変わり、優れた能力は嫉妬の原因になる。ただし賢者はこうならない。
一時的なブームの中、雑誌やテレビで何度も紹介されるような「行列が出来る店」に実際に並んでいると、気づかないうちに実は自分の中でハードルを高くしているものです。そして待ちに待って、いざ食べてみると「どうしてこれを行列してまで食べたいんだ?」と勝手に批判的な感想を口にするのです。その中で「やはり並ぶだけの価値があった」と言わせてこそ、実力ある人が作ったもの提供している店なのでしょう。
人気者は敵も多いといいます。気持ちのよいものではありませんが悪口は人気のバロメーターともいいます。そんな中、人気のタレントさんでも、カメラが回っていようがなかろうが変わらなく好感をもてる人がいます。きっとその人が「賢者」なのだと考えます。
「愛憎」という言葉があるとおり、見返りを求める愛は、望みが叶わないとき、反転して憎しみに変わってしまうもので実は同時に存在、表裏一体なのだと考えます。愛が深ければ深いほど、それに比例して憎しみは大きくなりえます。諸刃の剣なのです。それを賢者は上手に使いこなすことができるのです。
子を持つ親の中には子どもの成長に期待して「将来この子は大成して稼いでくれるはずだ。だから今はそのための投資」という考えで学業やスポーツに励ませる人がいますが、子どもが期待に応えきれず、成長が頭打ちとなった時は果たしてどうなるのでしょう。
考え方ですが、愛も徳も「求める」ではなく「与える・分ける」という気持ちのほうが良いのかもしれないですね。それくらい寛容・寛大であるくらいの余裕をもっていたいものです。

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