「知り得た知識をいかに活用するか」非知之難也、処知則難也

知の難きに非ず、知に処するは則ち難し

―非知之難也、処知則難也―

[原文](韓非子 説難編 四)
非知之難也、処知則難也
[書き下し文]
則ち知の難きに非ず、知に処するは則ち難きなり
[原文の語訳]
すなわち、知識を得たり本質的に理解したり見分けたりするのが難しいのではなくて、それらによって得たものをどう処理するかが難しいのである
[解釈]
インプットよりもアウトプットが大事ということ。
知ること自体に意味があるのではなく、知り得た知識をいかに活用するかが重要なのです。物知りだけでは宝の持ち腐れです。
子どもが勉強に対して「なぜ勉強する必要があるのか?」と疑問をもった時に、実生活の中で「こういう時に役に立つんだよ」と理解させることも当てはまると考えます。
ひょっとすると学校教育は「目次を覚える」過程かもしれません。後々、その目次から今の自分に当てはまる内容を引くことで役に立つと考えれば良いかもしれません。古典を読むのも同じ。
「努力することが辛い」と感じるときは「工夫する」と置き換えてみると気が楽になって、意欲も湧いてきます。ただ、工夫するにも知識を持っていなければアイデアはなかなか生まれてきません。
せっかく周りから誤りを指摘されたり、新しい知識を提供されても「よぅわかりませんが…」と軽んじるトップには困ったものです。
[参考]
知に処すること難きなり / その他の東洋思想 | 講老箚記 – 東洋思想・哲学・文化の研究

[中国古典一日一言]

今日の一言は「中国古典一日一言」守屋洋(著)から、同月同日の一言をもとに自分なりに追記や解釈して掲載しています。

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