「その手段や方法は適切かを意識する」縁木而求魚

木に縁りて魚を求む

―縁木而求魚―

[原文](孟子 梁恵王篇第一)
以若所爲、求若所欲、猶縁木而求魚也。
[書き下し文]
若(かくのごと)き為す所を以もって、若き欲する所を求むるは、猶(なお)木に縁(よ)りて魚(うお)を求もとむるがごときなり。
[原文の語訳]
武力を使って天下の王になろうとするのは、まるで木に登って魚をつかまえようとするものであり、絶対にできるはずがない。
[解釈]
木に登って魚を獲ろうなどと手段や方法が間違っていたのでは、到底目的を達することなどできないのは言うまでもありません。紆余曲折とは言いますが、それも目標が明確で右へ行ったり左に行ったりとはするけれど、それでも間違っていると気づいて方向修正をしているだけ道のりは長くなりますが前には進んでいるのです。その場で空に上がろうとしてもその地点から前に進むことはないのです。
方法を間違って目標を達成できないだけでも害がないのならば自業自得で住みますが、組織に損害を与えることになるとことは重大です。トップやリーダーがこんな人ではたまったもんじゃありませんね。
我流もこの危険性が潜んでいますし、仰ぐべき師を選ぶにしても注意が必要かもしれません。
[参考]
木に縁りて魚を求む – 故事ことわざ辞典

[中国古典一日一言]

今日の一言は「中国古典一日一言」守屋洋(著)から、同月同日の一言をもとに自分なりに追記や解釈して掲載しています。

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