「沈黙を説得力に」言而当知也、黙而当知也

言いて当たるは知なり、黙して当たるも知なり

―言而当知也、黙而当知也―

[原文](荀子)
言而当知也、黙而当知也
[書き下し文]
言いて当たるは知なり、黙して当たるも知なり
[原文の語訳]
発言によって核心を言い当てるのは「知」と言えるが、沈黙していて核心を突くのも「知」と言える
[解釈]
ピントを外さずにスバッと話ができる人も、口数こそ少ないが核心を突く一言をズバッという人も同じ説得力を持ちあわせているということです。
できる人は例え口に出さなくても、表情や眼差し、雰囲気で核心を伝える事ができるのです。
プレゼンテーションや演技でも、キーワードとなる言葉を発する前に数秒間の間、沈黙をつくることでより効果的に印象づけることができるといいます。
相槌やひたすら同調する太鼓持ちよりも、黙って傾聴し頷くだけでも、相手に「この人は聴いてくれているな」と伝えることができるのです。
[参考]
言いて当たるは知なり、黙して当たるも知なり:原文・書き下し文・意解 言葉の散歩道89 | ナオンの言葉の散歩道

[中国古典一日一言]

今日の一言は「中国古典一日一言」守屋洋(著)から、同月同日の一言をもとに自分なりに追記や解釈して掲載しています。

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