憤りを発して食を忘れ、楽しみて以って憂いを忘る
―発憤忘食、楽以忘憂―
- [原文](論語 述而第七)
- 葉公問孔子於子路、子路不対。子曰、汝奚不曰、其為人也、発憤忘食、楽以忘憂、不知老之将至云爾。
- [書き下し文]
- 葉公、孔子を子路に問う。子路対(こた)えず。子曰く、汝(なんじ)奚(なん)ぞ曰わざる。その人と為りや、憤りを発して食を忘れ、楽しみて以て憂いを忘れ、老いの将に至らんとするを知らざるのみ。
- [原文の語訳]
- 葉公が、孔子のことを子路に尋ねた。子路は答えなかった。孔子が言う。なぜ、お前は葉公にこう答えてくれなかったのだ。その人柄は、発奮すると食事を忘れるほどで、楽しむ時は心配事をも忘れるほど熱中し、自分に老いてが迫ってきている事に気づいていないと。
- 発奮すると日食であることも忘れ、心配事をも忘れるほど楽しむ。
- [解釈]
- 発奮すると食事をすることも忘れるほど集中し、楽しむときは心配事も忘れるほど熱中する。時間が貴重な資源であるとわかっていると、その瞬間を大事にするものです。
- また「食」を食事ではなく「日食・月食」ととらえることも可能です。この場合、日食や月食は何かしらの兆候との認識が強かったため、本来は不安になるところをそれすら忘れて熱中してしまうという解釈もできそうです。「楽しむ」ことは取り組む姿勢としては最上の状態です。一種の「フロー状態」になるということではないかと考えます。
- 自らを説明できるということは「自分の強み」を分かっていたり、それが弱味であってもアピールの仕方がわかっている、己を知る人なのです。
- [参考]
- 『論語 述而篇』の書き下し文と現代語訳:2
- 論語:述而第七:18(原文・書き下し文・現代語訳) – Web漢文大系
[中国古典一日一言]
今日の一言は「中国古典一日一言」守屋洋(著)から、同月同日の一言をもとに自分なりに追記や解釈して掲載しています。
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