「最後まで持続する」靡不有初、鮮克有終

初めあらざること靡く、克く終わりあること鮮なし

―靡不有初、鮮克有終―

[原文](詩経 大雅 蕩)
靡不有初、鮮克有終
[書き下し文]
初めあらざること靡(な)く、克(よ)く終わりあること鮮(すく)なし
[原文の語訳]
初めがないものはないが、完成した終わりは少ない
[解釈]
最後までやり遂げられることは少ないということです。
誰しも事のし始めは盛大であっても、その勢いを持続して完遂できる人は少ないものです。「はじめの勢いはどこへ行った」などとはよく言ったものです。
数年に一度の人材として華々しく登場し、そして有終の美を飾るところで活躍できる人は稀です。
できる人は「初志貫徹」であったり、力を出しきらずに八分の力を持続させていくのです。
ネットのサービスでも開始時はテレビなどで頻繁にCMを流しますが、下火になるとさっさとサービス自体を終了させてしまうケースが見受けられます。損切りといってしまえばそうかもしれませんが、利用者はたまったもんじゃないですね。
一時期政権を奪取した政党がまさに体現していたのではないでしょうか。
大きな花火を打ち上げておきながら残り火も消えないうちに部下に押し付け、成果が出なければ責任転嫁するようなトップには困りものです。
[参考]

[中国古典一日一言]

今日の一言は「中国古典一日一言」守屋洋(著)から、同月同日の一言をもとに自分なりに追記や解釈して掲載しています。

コメント受付中です どなたでもコメントできますがスパム対策を施しています

タイトルとURLをコピーしました