「疎遠となっても謗らない」君子交絶不出悪声

君子は交わり絶ちても悪声を出ださず

―君子交絶不出悪声―

[原文](史記 楽毅伝)
古之君子交絶不出悪声、忠臣去国、不潔其名。
[書き下し文]
古(いにしえ)の君子は交わり絶ちても悪声を出ださず、忠臣は国を去るも、その名を潔くせず。
[原文の語訳]
昔の君子は交際を絶った人の悪口は言わず、忠臣は国を出るときに、自分には落ち度がなかったなどと自己弁護しない。
[解釈]
絶交してしまった人への悪口は陰口を言ってしまいそうですが、できる人はそんなことはしません。
中国では他人への悪口は「そんな人と交友関係を持った自分の評価を下げることになる恥ずかしい行為である」のと「やがて本人の耳に届くもの」という考えがあるからです。自分たちでもその意識が薄いだけで、実は同様の作用はしているのです。
政治の世界では離合集散の繰り返しの中で離れた人同士、相手への厳しい発言はよくみる光景ですね。そんな人を公認したり手を組んだのは誰なんだ?と。さらに散々罵り合っていながら選挙が近くなると再び一緒になる。それを見ている周囲は呆れるだけで期待もしない。でも本人たちはそれに気づいていないのですから。
絶交までいかなくても、ちょっと疎遠になるだけで急に陰口をたたきだす人って周囲に結構いますね。その人と疎遠になっている理由も知らずに。理由をきいて自らを恥じるのか、そんな言い訳をとあくまで自分を正当化するのか。その後の反応で人格もみえてきます。
自分も疎遠としている事柄がありますが、本音と建前で真の理由は言わないでおくこともあります。先方からはあれこれ聞こえてきますが。
「呼ぶより謗れ(そしれ)」と言いますが、誰が聞いているかわかりません。謗っているところだけを切り取られてしまっては大変です。
[参考]
こじせいご

[中国古典一日一言]

今日の一言は「中国古典一日一言」守屋洋(著)から、同月同日の一言をもとに自分なりに追記や解釈して掲載しています。

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