「教えることを怠ってはいけない」養子不教父之過

子を養いて教えざるは父の過ちなり

―養子不教父之過―

[原文](勧学文)
養子不教父之過、訓導不嚴師之惰。
[書き下し文]
子を養いて教えざるは父の過ちなり。訓導(くんどう)の嚴(げん)ならざるは師の惰(おこたり)なり
[原文の語訳]
子を育てても教えることをしなければ父親の過ちである。教え導くことに厳しくしないのは師の怠りである。
[解釈]
父親として「養育」の「育」だけではなく「教養」の「教」もきちんと行い、あわせて「教養(教え育てること)」をしなければいけません。過激な言い方ですが「育てるだけなら家畜と同じ」という言葉もあります。
仕事の都合でなかなか子どもと接する時間がないというのは親として失格ということですね。あたた…。
父親は教わる大事さをきちんと教え、先生や師匠は厳格に指導することをすることがそれぞれ責務です。加えて、文にはこの後「各人が責務を全うしていながら、受けた当人の身につかないのは本人の責任」と続きます。
第三者から誤りの指摘やアドバイスを受けるのは、きちんと教えていなかった父や師の過失ですが、せっかく指摘を受けても改善をしないのは本人の過失ということになります。
組織でも内部では先輩や直属の上司が基礎をしっかり教えないといけませんし、現場では先輩が厳しいくらいに指導しなくてはいけません。
基礎体力だけをつけさせても、それをどう活用するかとかスポーツの面白さや良さを教えなければ子どもは単なる「運動能力の高い子」で終わってしまいます。そしてスポーツを始めるのであればきちんと指導してくれるコーチにつかなければ能力も開花させるのは難しいものです。
何かにつけて子どもが疑問に思うことに答えることができたり、また、わからない場合はすぐ調べる姿勢をみせることは、親として大事な役割です。勉強を学校や塾任せにして、家では衣食住の生活活動を見せるだけではいけないのですね。
[参考]
子を養いて教えざるは父の過ちなり:原文・書き下し文・意解 | ナオンの言葉の散歩道

[中国古典一日一言]

平成27年(2015年)5月1日から平成28年(2016年)4月30日までの今日の一言は「中国古典一日一言」守屋洋(著)から、同月同日の一言をもとに自分なりに追記や解釈して掲載しています。

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