みどりの窓 シリーズ「桶狭間の戦いから450年」(2)
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緑区内には、桶狭間の戦いゆかりの城や砦の跡が残されており、その地を訪れると両軍の攻防の様子が目に浮かぶようです。
大高城は、桶狭間の戦い当時は今川方の城であり、今川義元はこの城をめざしていたとも考えられています。
この大高城に対し、織田信長は鷲津砦・丸根砦を築きました。
しかし、桶狭間の戦い当日、この2つの砦は今川方の松平元康(のちの徳川家康)らの攻撃を受けて陥落しました。
これが、今川義元を油断させる要因になったともいわれています。
一方、鳴海には今川方の鳴海城と織田方の丹下砦・善照寺砦・中島砦がありました。
『信長公記』には、織田信長は桶狭間に向かう途中この3つの砦に立ち寄ったと記されています。
鳴海城は今川方の岡部元信の活躍により落城を免れましたが、戦いののち、岡部元信は今川義元の首級と引き換えに城を明け渡したと伝えられています。
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