「気持ちは相対値ではなく絶対値で」非無安居也、我無安心也

安居なきに非ず、我に安心なきなり

―非無安居也、我無安心也―

[原文](墨子 巻一 親士)
吾聞之、曰、「非無安居也、我無安心也。非無足財也、我無足心也。」
[書き下し文]
吾之を聴く、曰く、「安居(あんきょ)なきに非ず、我に安心なきなり。足財なきにあらざるなり、われに足心なきなり。」
[原文の語訳]
私は聞いたことがあります。「安居する場所が無いのではなくて、心を安らかにする術を知らないのだ。財産が足りないのではなく、足るを知るということを心得ていないのだ」と。
[解釈]
心安らかに過ごせないのは、自分の中に何か気になることがあったり、気を落ち着かせる方法を身につけていないからです。
何事にも逃げ腰だったり、何かに怯えたり、常に言い訳を考えているようでは気も落ち着かないでしょう。
お金がないと言って嘆くこともあれば、一方で資産を蓄えていることで「他人から狙われるのではないか」とか「遺産相続が気がかり」などと気を揉めたりする。どんな状況でも不安な気持ちがあると落ち着かないものです。
相手と比較するから(相対的に)劣等感や足りなさを感じるのであって、比較対象のない自分だけ(絶対値)だと考えると と、実は現状で充分足りていたりするのです。そこに気づけるかどうかの差です。
ねだる子どもに親が諭す「人は人、自分は自分」がそうですよね。そんな親でさえご近所さんと比較したりしちゃいますけどね(笑)
できる人は自分に自信があるので置かれている環境に負けず、やるべきことをやることができます
トヨタ式のように、無いならないように知恵を絞り、コスト削減を達成していくのが、この一言にあたるのではないでしょうか。自分たちに「何とかできるんじゃないか」という経験からくる自信があるからどんな状況でも知恵を絞る努力をし結果を出す。
一時期、facebookのタイムラインを眺めていて、活発に動き回っている人たちに対して凹んだ時期がありました。ともすればfacebookから退会しようと考えました。が、いまはその感情はクリアできています。
[参考]
六然の森-中国古典の森-安居なきに非ず、我に安心なきなり

[中国古典一日一言]

今日の一言は「中国古典一日一言」守屋洋(著)から、同月同日の一言をもとに自分なりに追記や解釈して掲載しています。

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