「冷静沈着はいつでも強い」望之似木鶏

これを望めば木鶏に似たり

―望之似木鶏―

[原文](荘子 外篇 達生第十九)
望之似木鶏
[書き下し文]
これを望めば木鶏に似たり
[原文の語訳]
まるで木彫の鶏のように見えます
[解釈]
本当に強い人は敵に対しまったく動じることがなく、相手はその泰然自若さに恐れをなすのです。
人は虚心無我になったときが最も強いのです。
徳が充実している人は、無言の説得力で周囲の人々を感化させることができます。危機に遭遇しても、できる人は冷静さを保ち、その徳を周りに与えることによって落ち着かせることができるのです。
事に精通しておけば、むやみに首を突っ込んだり口を出さず、どっしりと構えているだけで十分に存在意義をなすのです。
横綱・双葉山関が69連勝で記録が止まった時、「イマダモッケイタリエズ(未だ木鶏たりえず)」と師と仰ぐ安岡正篤氏に打電した逸話があります。以前に安岡は双葉山に対し「道を極めた者は、他者に惑わされることなく鎮座しているだけで衆人の範となる」と語ったことがあり、それを顧みての一文でした。
リーダー論として、サッカー元日本代表の岡田氏も「悪いリーダーは嫌われる」、「いいリーダーは怖がられる」とした上で、「一番優秀なリーダーというのはいるのかいないのかわからない。」と。「自分を殺す」のではなく、 「自分の存在が消えていく」と語っています。
[参考]
いかに学び、いかに生きるか「木鶏の教訓」

[中国古典一日一言]

今日の一言は「中国古典一日一言」守屋洋(著)から、同月同日の一言をもとに自分なりに追記や解釈して掲載しています。

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