「志は大きく」燕雀安知鴻鵠之志哉

燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや

―燕雀安知鴻鵠之志哉―

[原文](史記)
陽城人陳勝、字渉。少与人傭畊。輟畊之隴上、悵然久之曰、「苟富貴、無相忘。」傭者笑曰、「若為傭畊、何富貴也。」勝大息曰、「嗟呼、燕雀安知鴻鵠之志哉。」
[書き下し文]
陽城の人陳勝、字は渉。少きとき人と傭畊す。畊を輟めて隴上に之き、悵然たること久しうして曰はく、「苟くも富貴とならば、相ひ忘るること無からん。」と。傭者笑ひて曰はく、「若傭畊を為す、何ぞ富貴とならんや。」と。勝大息して曰はく、「嗟呼、燕雀(えんじゃく)安んぞ鴻鵠(こうこく)の志を知らんや。」と。
[原文の語訳]
陽城の人、陳勝は字を渉と言った。若いときは他の人と一緒に雇われて耕作をしていた。ある時、耕作の手を休め、畑の中の小高いところに行き、長い間嘆いた様子を見せて、こう言った。「もし金持ちで身分の高い人物になったら、あなたのことを忘れないようにしよう。」雇われ人夫はこう言った、「君は雇われて耕作などしている、どうして金持ちで身分の高い人物になれようか(、いやなれない)。」陳勝はため息をついて嘆きながら、こう言った「ああツバメやスズメのような小鳥に、どうして大鳥の志がわかろうか(、いやわからない)。」
[解釈]
「燕や雀のような小鳥には、大きな鳥の考えていることはわからない」というところから「小人物には大人物の考えや志がわからない」という意味の例えに。
何かことを興そうとした時、周りに理解してもらえなかったり反対されることがあります。そういう孤立無援の状態の時の心情を表現していると考えます。そこで突き進むか、考え直すかの二者択一を決断するのは本人次第です。
語訳は理解してくれない周りの人を冷ややかに見下した感じに受け取れますが、本来、志を語った時にその思いに耳を傾けてくれる人は仲間です。賛成だけでなく意見をもって反対論を言ってくれる人も仲間なのです。それを頭ごなしに否定するだけの人は残念ながら仲間ではないのかもしれません。
小さい頃からメジャーリーガーになることを語る子どもと、とりあえず野球をしているだけの子どもとでは志に大きな差があります。目標があれば、それに向かって何をしていこうか先を考えた上で目の前の課題に取り組んでいきますが、目先のことしか考えないと、すぐに目標を達成してしまい、その時点で向上心も失われてしまいます。さらに横道にそれても気づかないまま進んでしまいます。
[参考]
燕雀安くんぞ鴻鵠の志を知らんや 十八史略 漢文 i think; therefore i am!
http燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや:原文・書き下し文・意味 – Web漢文大系//kanbun.info/koji/enjaku.htmll

[中国古典一日一言]

今日の一言は「中国古典一日一言」守屋洋(著)から、同月同日の一言をもとに自分なりに追記や解釈して掲載しています。

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