「言葉にできない裕福感を楽しもう」笑而不答心自閑

笑って答えず、心自ずから閑なり

―笑而不答心自閑―

[原文](古文真宝 李白 山中問答)
問余何事栖碧山、笑而不答心自閑、桃花流水杳然去、別有天地非人間。
[書き下し文]
余(われ)に問う何事か碧山に栖(す)むと、笑って答えず 心自ずから閑なり、桃花流水(とうかりゅうすい)杳然(ようぜん)として去り、別に天地の人間(じんかん)に非(あら)ざるなり。
[原文の語訳]
世間の人はどうしてこんな山奥に住んでいるのかと尋ねる。私はただ笑って答えないが、まことにのんびりとこの環境を楽しんでいるのだ。桃の花びらが、川面に浮かんでゆったりと流れ去り、俗世間とはまったく異なる風情があるではないか。
[解釈]
たまには頭の中を空っぽにしてゆっくり時間が流れるのを楽しみたいですね
余暇だけでなく、何事も打ち込んでいることに対し、周りの人には理解してもらえないことがあります。「言葉にはできないこの感情は、あなたにはわかってもらえないかもしれないね。」といったところでしょうか。
その人その人にツボがあるのです。お笑いでも「どこが笑えるの?」とかテレビやゲームに対して「何が楽しいの?」と思うことが一日のうちで何度となくありますよね。それはその人の価値観に自分があってないだけのことで、そこで無理に自分の価値観に相手をあわせさせようなどと考えると、結果的に自分が疲れるだけなのです。そんな相手を思って人は人、自分は自分で「答えず」なのかもしれません。
理由を尋ねられて、理解してもらえそうもないことをわかっているのにわざわざ説明し、さらに相手の反応がイマイチだったりすると、せっかくの良い気分が台無しになります。なら最初から言わないほうが楽ですね。
最近は都会から離れた田舎暮らしを好む若い人も増えています。中心部でなくても仕事ができる環境になったのも一因でしょうが、気分転換にふらっと外に出ればすぐ自然に触れられるのはいいですね。
[参考]
李白と陶淵明:桃花流水杳然として去る

[中国古典一日一言]

今日の一言は「中国古典一日一言」守屋洋(著)から、同月同日の一言をもとに自分なりに追記や解釈して掲載しています。

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