「長い道のりの途中にはあぜ道もある」君子有終身之憂、無一朝之患也

君子は終身の憂いあるも、一朝の患いなきなり

―君子有終身之憂、無一朝之患也―

[原文](孟子 離婁章句下 二十九)
君子有終身之憂、無一朝之患也
[書き下し文]
君子は終身の憂いあるも、一朝の患いなきなり
[原文の語訳]
君子は生涯の憂いとすることはあっても、日々の社会生活でいちいち憂いとすることはない
[解釈]
誰しも深い悩みを持っている。ただ正しいことしていると、周りに影響されて一々悩むようなことはしない。できる人がそこで悩むのは自分に非があると認識しているからです。
できる人は軸がしっかりしていると小さなことでは悩みぶれないが、大局を望んでは慮り深く悩んでいる。
将来を見据えた長い道のりから考えると、目の前の問題はあぜ道のような通過点であり、先へ進むためのステップであると割り切ることができれば、気を楽にすることもできるのではないでしょうか。
トップは常に孤独という言葉がありますが、組織内でも小さな問題はリーダーが処理をしてくれるので、トップ先を見据えた広い視野での戦略と決断で悩むのでしょう。
事あるごとに簡単に「やけくそですよ」などと口にするトップには閉口です。
[参考]
一日一句!気楽に中国古典!:君子は終身の憂いあるも、一朝の患いなきなり

[中国古典一日一言]

今日の一言は「中国古典一日一言」守屋洋(著)から、同月同日の一言をもとに自分なりに追記や解釈して掲載しています。

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