「古典は実生活で活用してこそ読んだ意味がある」君之糟魄巳

君の読む所のものは古人の糟魄のみ

―君之糟魄巳―

[原文](荘子 外篇 天道篇)
君之糟魄巳
[書き下し文]
君の読む所のものは古人の糟魄(そうはく)のみ
[原文の語訳]
主君が読んでいる書物は、古代の聖人の残りカスである
[解釈]
全てを伝えきれない読書よりも実践や経験の方が大事だということ。確かに文字だけではイメージしきれなかったり、実践で用いなければ理解できたとは言えないことを考えるとそうかもしれません。でも読書で土台を固めることも大事ではないかとも考えます。
技術や経営の勘というのは、文字や言葉だけでは説明できません。実践や経験の中からしか身につかないものです。さらにそれをどれだけ血肉にすることができるかが重要です。知識万能ではないのです。
数学の公式を覚えるにしても、ただ鵜呑みにして公式を書けるだけでなく頭で咀嚼することで意味を理解し、実際に問題を説いたり実生活で役に立たなければ意味がありません。読んだ先、実践に活用することで初めて温故知新となるので。
図面や資料だけでなく「まずは現場を見ろ」も同じではないでしょうか。
古典を読んだ人それぞれが自由に解釈をし、それが是非乱立するくらいであれば、外に出て「三人行けば必ず我が師有り」として学んだ方がより現実的なのかもしれません。講演会でも実社会に即した事例で表現される方が分かりやすいですし。
しかしながら、古典は読んだだけでは古人のカスなのかもしれませんが、自分のものとした時点でそれは糧になります。
[参考]
千年の日本語を読む【言の葉庵】能文社:名言名句 第三十五回 達磨四聖句 教外別伝。
ワカメ共和国~研究が煮詰まっております~ 九月二十六日:君之所読者、古人之糟魄已

[中国古典一日一言]

今日の一言は「中国古典一日一言」守屋洋(著)から、同月同日の一言をもとに自分なりに追記や解釈して掲載しています。

コメント受付中です どなたでもコメントできますがスパム対策を施しています

タイトルとURLをコピーしました