「理屈に凝り固まらないように」縦欲之病可医、而執理之病難医

縦欲の病は医すべし、而して執理の病は医し難し

―縦欲之病可医、而執理之病難医―

[原文](菜根譚 前集 一八七)
縦欲之病可医、而執理之病難医。事物之障可除、而義理之障難除。
[書き下し文]
縦欲(しょうよく)の病は医(いや)すべし、而(しか)して執理の病は医し難し。事物の障りは除くべし、而して義理の障りは除きがたし。
[原文の語訳]
私欲に凝り固まった病は治すことができる。だが、理屈に凝り固まった病はどうすることも出来ない。物事についての障害はとり除くことができるが、道理についての障害は、なかなかとり除けない。
[解釈]
欲望は周りの環境に影響されることもあり、何かのきっかけで矯正されることもありますが、理屈っぽいのは性格なので、直すのは難しいということです。
「執理」には理屈っぽい、頑固、自己主張が強い、人の意見に耳を貸さないなどの意味があるそうです。
欲は達成したり周りから与えられることで満たされれば、さらに求める場合もありますが、だいたいは収まります。ところが思い込みや頑固な性格は周りが変えることはほぼできないでしょうし、余程のことがない限り自分で変えることもできないでしょう。そうなるとゆくゆくは付き合いにくい人として見放されるだけです。
周りの妥協もあり道半ばでも形となった公約でも円満達成のように満足しつつ、一方では試算で難しいと分析されても頑として譲らないトップが当てはまりそうです。馬の耳に念仏ですね。
[参考]
縦欲之病可医、而執理之病難医
洪自誠「菜根譚」 – 上佐谷小学校

[中国古典一日一言]

今日の一言は「中国古典一日一言」守屋洋(著)から、同月同日の一言をもとに自分なりに追記や解釈して掲載しています。

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