「実践者であるかどうか」善善而不能用、悪悪而不能去

善を善みして用うる能わず、悪を悪みて去る能わず

―善善而不能用、悪悪而不能去―

[原文](管子)
善善而不能用、悪悪而不能去
[書き下し文]
善を善(よ)みして用うる能わず、悪を悪(にく)みて去る能(あた)わず
[原文の語訳]
善を喜びながらそれを用いようとしませんでした。悪を憎みながら、それを退けることができませんでした
[解釈]
頭では理解し語っても、実行が伴わなければ意味がありません。実践者であるかどうかが大事なのです。
良いとわかっていても取り組まないものいけませんが、悪いとわかっていても改善しないのが最も悪い状態です。小事が大事になってしまうのです。
理想ばかりを並び立てたり、机上の空論ばかりだったり口だけのトップでは部下に放置されてしまい、組織も機能不全に陥ってしまいますね。
[参考]
善を喜び悪を憎む。 ( 社会教育 ) – 株で自分年金をつくろう!! – Yahoo!ブログ
善を善みして用うる能わず、悪を悪みて去る能わず:原文・書き下し文・意解 | ナオンの言葉の散歩道

[中国古典一日一言]

今日の一言は「中国古典一日一言」守屋洋(著)から、同月同日の一言をもとに自分なりに追記や解釈して掲載しています。

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