遇と不遇とは時なり
―遇不遇者時也―
- [原文](荀子 宥坐篇 第二十八)
- 遇不遇者時也。
- [書き下し文]
- 遇と不遇とは時なり。
- [原文の語訳]
- 遇と不遇とは時の動きによるものである。
- [解釈]
- どんなに優れた人物でも、時勢に合わなければ埋もれてしまうということ。
- ただ、これを本人が口にすると「評価を周りに求めているから」そう考えてしまうともとれます。不遇なときに「自分はこんなにも頑張っているのに」と、ちょっと愚痴っぽく聞こえてしまいかねませんね。
- 「時代が自分に追いついてこない」などと言ってしまうと、どんだけ自分を過大評価してるんだ、とも。
- 一方で、いつかは自分も社会に貢献できる(やっていることが認められ求められる)時も巡ってくるかもしれない。その時のために常に自分を磨くことを怠ってはいけない。逆に社会に認められても手を休めることなく続けていかなければいけないというでもあります。
- 運の浮き沈みは交互にやってきます。浮き始めた時に備えて沈んでいる時にどう過ごすかが大事です。飛び上がるときの前段階と同じですね。深くかがまないと高く飛び上がることはできません。無理に背伸びしていては全く飛び上がることはできないのです。
- [参考]
- 遇と不遇とは時なり|デジタル魚図鑑 for iPhone&Android 制作部のBLOG
[中国古典一日一言]
今日の一言は「中国古典一日一言」守屋洋(著)から、同月同日の一言をもとに自分なりに追記や解釈して掲載しています。
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