「全体を観る」致數輿無輿

數輿を致さんとすれば輿無し

―致數輿無輿―

[原文](老子)
致數輿無輿
[書き下し文]
數輿(すうよ)を致さんとすれば輿無し
[原文の語訳]
車の各部分を詳しく調べても、車全体は見えてこない
[解釈]
「木を見て森を見ず」です。細かいところばかり気にしてばかりでは全体像は見えてこないということです。
個々の能力が高くても意思疎通がしっかりしていないとチームワークがバラバラとなり組織力は高まりません。
こだわりの素材を使った料理で一品一品は素晴らしい出来栄えでも、全体の味付けや盛り付けがしっかりしていないければもったいないですよね。
問題解決には原因の絞り込みが大事ですが、原因を突き止めたら今度は全体像を捉えないと間違った方向へ修正しかねません。
失言などが報道された際、前後の文脈を確認すると実はそういう意味合いではなかったということもありますよね。その部分だけを抜き取ってクローズアップする揚げ足取りには困ったものです。
勝敗や結果だけを見ず、そこに至るまでの過程もきちんと評価・検証しなければいけないですね。
部分最適よりも全体最適、広い視野や寛容さをもちたいですね。
[参考]
2006-08-25 – 土の器
『読老子』第三十九章(その一) ( 哲学 ) – 玄齋の書庫 – Yahoo!ブログ

[中国古典一日一言]

平成27年(2015年)5月1日から平成28年(2016年)4月30日までの今日の一言は「中国古典一日一言」守屋洋(著)から、同月同日の一言をもとに自分なりに追記や解釈して掲載しています。

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