「両目でしっかり視る」目不能両視而明

目は両視せずして明らかに

―目不能両視而明―

[原文](荀子 勧学)
目不能両視而明、耳不能両聴而聡。
[書き下し文]
目は両視せずして明らかに、耳は両聴せずして聡(さと)し。
[原文の語訳]
両眼は二つのものを同時に見ないからはっきり見え、両耳は二つの音を同時に聞かないから的確なのである。
[解釈]
集中する大切さのことです。注意力が散漫になっていては集中できませんし、別別のものを同時に取り入れようとしても中途半端になってしまいかねません。
目を閉じた時の状況に似ていますね。心眼で見えるものは一つです。
多角的に視るのは、一つのものを複数の視点で観察することですので、この言葉に呼応していると考えます。
ながら作業がそうですね。テレビやラジオなどでも内容が気になって目の前に集中できないようではいけないですし、無音では逆にちょっとした音に敏感になってしまいます。BGM、ホワイトノイズ、生活雑音くらいなら聴こえていても気を取られません。
実力を取るか人気を取るか、民意とずれている気がすることがありますね。
全国的に流行っているものを取り入れるのか、目の前のお客さんが望むものを用意するかということです。
利己と利他を同時に追求しようとすると歪が生じてしまいます。組織でも需要供給と利益を同時に求めると無理をしなくてはいけなくなります。
[参考]
目は両視せずして明らかに耳は両聴せずして聡し(メハリョウシセズシテアキラカニミミハリョウチョウセズシテサトシ)とは – コトバンク

[中国古典一日一言]

平成27年(2015年)5月1日から平成28年(2016年)4月30日までの今日の一言は「中国古典一日一言」守屋洋(著)から、同月同日の一言をもとに自分なりに追記や解釈して掲載しています。

コメント受付中です どなたでもコメントできますがスパム対策を施しています

タイトルとURLをコピーしました