「まだ力不足だと考える」遁世不見知而不悔、唯聖者能之

世を遁れ、知られずして而も悔いざるは、唯だ聖者のみ之れを能くす

―遁世不見知而不悔、唯聖者能之―

[原文](中庸 右第十一章)
君子依乎中庸、遁世不見知而不悔、唯聖者能之
[書き下し文]
君子中庸に依(よ)り、世を遁(のが)れ、知られずして而も悔いざるは、唯だ聖者のみ之れを能(よ)くす
[原文の語訳]
君子は中庸のように、欲望渦巻く世俗を避けて、自分を認められてもらえなくても後悔しないのは、ただ聖者だけが実践できるのである
[解釈]
できる人は周りに認めてもらえなくても気にすることなく、常に安定した務めをするものです。
成果主義に流されることなく、周りと競争することもしなければ評価されなくても我関せずして、常に丁寧な仕事ができるようにしたものです。ただし、見てる人は見てるのです。
自ら肩書を求めるようなことをするべきでないということですね。
でも認めてもらいたいのが心情、そんな時は認めてもらえないということは、単に自分の力不足だと素直に認め、まだまだ鍛錬が必要と前向きにとらえることで、向上心を失うことなく精進し続けられるのではないでしょうか。
掲げた目標に周囲から失笑されても、目標が決まっていれば道筋がみえてきます。遠い目標ほど安定した小さなステップの積み重ねとなるわけで、到達しなければ9割でも未達成、そこが継続する力となるのです。
[参考]
『中庸』の書き下し文と現代語訳:10

[中国古典一日一言]

平成27年(2015年)5月1日から平成28年(2016年)4月30日までの今日の一言は「中国古典一日一言」守屋洋(著)から、同月同日の一言をもとに自分なりに追記や解釈して掲載しています。

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