「非難する原因は自分かもしれない」没歯而無怨言 聖人以為難

歯を没するも而ち怨言無きは、聖人を以って難と為す

―没歯而無怨言 聖人以為難―

[原文](資治通鑑)
没歯而無怨言 聖人以為難
[書き下し文]
歯(よわい)を没(お)するも而ち怨言無きは、聖人を以って難と為す
[原文の語訳]
一生涯恨み言を言わないのは、聖人であっても難しいことである
[解釈]
人の悪口を一切しない人はそうそういません。高尚な人でもなかなかいないのではないでしょうか。
人を非難するにこしたことはないですが、なかなかできないものです。ただ、そういった悪口や陰口は巡り巡って相手の耳に届くものです。それをきちんと認識しておかなければいけません。
一方で悪口を聞いてしまった人も同調したり、言われた側の人も反攻したくなるものです。そこを抑えることも大事です。
理不尽だったり理解不能な言動を見聞きした際は、感情を吐露したいところを、まず相手がどんな心情なのかを理解することをしたいものです。
案外と相手を非難する原因が自分にあるのかもしれません。できる人は原因を常に自分に求めるので、安易に非難しないのです。
[参考]
資治通鑑/卷072 – ?基文?,自由的???

[人を動かす名言名句集―21世紀に生きる]

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