願わくは善に伐ること無く、労を施すこと無からん
―願無伐善、無施労―
- [原文](論語 公冶長)
- 願無伐善、無施労。
- [書き下し文]
- 願わくは善に伐(ほこ)ること無く、労を施すこと無からん。
- [原文の語訳]
- 願うのは善行を誇ることなく、労をねぎらってもらわないこと。
- [解釈]
- 善行や苦労を大げさに言ったり、同情を得ようとしないよう、自分はしていきたいということです。
- 恩着せがましくしたり、大変さをやたらとアピールしたがる人がいますね。
- 常に善を施す気持ちでいれば、わざわざ人に誇る暇もないでしょう。また「大変だ」「やることがたくさんある」と言っていても、単にその人の段取りが悪いだけかもしれません。
- その大変さをただ単に「分かってもらいたい」だけなのか、暗に「誰がやってもこうなるだろうから改善することに気づいてもらいたい」ということなのか周囲も見極める必要があります。寡黙に大変なところを引き受けている人がいると、その人が抜けた時に初めてその大変さに気づくということもあります。アピールしてくれることは迷惑千万だけではないのかもしれません。
- あまりアピールしすぎると「別にあなたにしてもらわなくてもよいですよ」となり、やりたいことを取り上げられる可能性もあります。アピールはほどほどにしておきましょう。
- [参考]
- 「伐善」解説ページ:六十化す
[人を動かす名言名句集―21世紀に生きる]
平成28年(2016年)9月1日からの今日の一言は「人を動かす名言名句集―21世紀に生きる」からの一言をもとに自分なりに追記や解釈して掲載しています。
[中国古典一日一言]
平成27年(2015年)5月1日から平成28年(2016年)4月30日までの今日の一言は「中国古典一日一言」守屋洋(著)から、同月同日の一言をもとに自分なりに追記や解釈して掲載しています。
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