「自分なりの道徳を作る」渇不飲盗泉水、熱不息悪木陰

渇しても盗泉の水は飲まず、熱しても悪木の陰に息わず

―渇不飲盗泉水、熱不息悪木陰―

[原文](猛虎行)
渇不飲盗泉水、熱不息悪木陰
[書き下し文]
渇しても盗泉の水は飲まず、熱しても悪木の陰に息(いこ)わず
[原文の語訳]
のどが渇いていても盗泉(という名)の水は飲まず、のぼせても悪木(という名)の木陰では休まない
[解釈]
悪木盗泉の由来です。孔子が旅途中でのどが渇いたが、泉の名が盗泉ということで、その泉水を飲まなかったそうです。そこからいくら困窮していても、悪事に近寄らない、怪しい行動をとらないということになります。
実のなっている木の下で休んでいると、その果実を盗ろうと誤解されるかもしれません。また、自分が休んでいるのを見て他の人が休もうと近寄ってきたら毛虫が落ちてきて驚かせてしまった。そのように些細な迷惑でもかける不安があるのならば休む前にそもそも近寄らないということです。
「ガラの悪い友だちと一緒にいるだけで評判が落ちる」と言うことがありますね。怪しいお店の辺りをウロウロしていただけで「そういえば先日見かけたよ。入店しようとしていたの」と言われることも。
遊戯場へ看板付きの営業車で出かけたら、仕事を放って遊んでいたのではないかと会社に連絡があったという話も聞いたことがあります。
余計な誤解を招くことは極力避けたいのであれば、常に周りに見られている可能性を意識する必要があります。評判を気にしないのであればどうってことはありませんが。
自分の中で道徳心を保つ基準を設定することは大事ですね。清廉潔白も良いですが、度が過ぎると縛られすぎて窮屈になってしまいます。現代の価値観や現実を知った上で自分なりの道徳を作り上げるようにしたいものです。
[参考]
悪木盗泉 – ウィクショナリー日本語版

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