「本当に大事なものなのか客観的に見る」家有弊帚、享之千金

家に弊帚有り、之を千金に享つ

―家有弊帚、享之千金―

[原文](典論論文)
家有弊帚、享之千金
[書き下し文]
家に弊帚(へいそう)有り、之を千金に享(あ)つ
[原文の語訳]
家にあるぼろぼろになった箒がある、これを千金だとたてまつる
[解釈]
家にある破れてぼろぼろになった箒(ほうき)でも、千金の価値があると大事にしているということで、自惚れが強いということです。
過去の栄光をいつまでも引きずっているような人や、自信過剰で解決できない原因を相手に求めているようなものです。固定概念もそうかもしれません。
大事にすることは必要ですが、それを周りに誇大に誇るようなことがあってはいけません。本文の箒でも「自分にとっては大事なもの」程度あればよいですが、周りに対しても「これは大事にしなくていけない」という風になってはいけません。
何でも鑑定団に出てくるお宝を見ているようですね。本当に大事なものなのか客観的に見ることが必要です。
[参考]
家に幣帚有り、之を千金に享つ:名言辞典

[人を動かす名言名句集―21世紀に生きる]

平成28年(2016年)9月1日からから平成29年(207年)6月15日までの今日の一言は「人を動かす名言名句集―21世紀に生きる」からの一言をもとに自分なりに追記や解釈して掲載しています。

[中国古典一日一言]

平成27年(2015年)5月1日から平成28年(2016年)4月30日までの今日の一言は「中国古典一日一言」守屋洋(著)から、同月同日の一言をもとに自分なりに追記や解釈して掲載しています。

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