「喋り過ぎは禍のもと」大弁如訥

大弁は訥なるが如し

―大弁如訥―

[原文](老子 洪德第四十五章)
大成若缺、其用不弊。大盈若沖、其用不窮。大直若屈、大巧若拙。大辯若訥。躁勝寒、靜勝熱。清靜爲天下正。
[書き下し文]
大成(たいせい)は欠くるが若(ごと)く、その用は弊(すた)れず。大盈(たいえい)は沖(むな)しきが若く、その用は窮(きわ)まらず。大直(たいちょく)は屈するが若く、大功は拙なきが若く。大弁は訥(とつ)なるが若し。躁は寒に勝ち、静は熱に勝つ。清静は天下の正たり。
[原文の語訳]
本当に完全な物は何かが欠けている様に見えて、その働きは衰える事が無い。本当に満ちている物は空っぽに見えて、その働きは枯れる事が無い。本当にまっすぐなものは、曲がっているように見え、本当に巧妙なものは、稚拙(ちせつ)なように見える。真の雄弁は訥弁と変わりがない。本当に豊かなものはどこか不足しているように見える、動き回れば寒さをしのげ、じっとしていれば暑さをしのげる。穏やかで落ち着いている者こそが世界を支配している
[解釈]
「訥」は、どもる、口が重い、言いよどむ、言葉がはっきりしない、にぶいなどの意味があります。
人の心を動かすことができるすぐれた人は、余計なことを言わないから、かえって口べたのようにもみえる。
雄弁は訥弁に似ていて多くを語らなくても人を心服させることができる最上の弁論なのです。
先日の一言「君子は言に訥にして、行いに敏ならんことを欲す」もそうですし「大弁は言わず」(荘子 内篇 齋物論)もあります。一方で「口は災いの元」とも。
あまり喋りすぎない方がよいという諫言ですね。
余計なことを喋ったり、話が脱線することで自ら災いを招くことも。三国時代、孔融や許攸、楊修などは喋りすぎて曹操から疎まれてしまいました。
できる人は、単刀直入で小細工をしないから、かえって下手に見えて、その技を軽々とやってのけるので難しいように受け取られないし、言葉の限界を知っているから多弁・雄弁・能弁はせず結果的に口下手に聞える。
野球で例えると、好守をする選手は打球に対して一直線に向かい、捕球して素早く送球する。そこには捕球から送球までスムーズで無駄な動きがなく、実際は素人にはとうてい真似できない芸当ですが、簡単にやってそうにみえるのです。
[参考]
大弁は訥なるが如し:原文・書き下し文・意解 言葉の散歩道143 | ナオンの言葉の散歩道

[中国古典一日一言]

今日の一言は「中国古典一日一言」守屋洋(著)から、同月同日の一言をもとに自分なりに追記や解釈して掲載しています。

コメント受付中です どなたでもコメントできますがスパム対策を施しています

タイトルとURLをコピーしました