「許される範囲での融通と寛容さを」水清無大魚

水清ければ大魚なし

―水清無大魚―

[原文](後漢書)
水清無大魚
[書き下し文]
水清ければ大魚なし
[原文の語訳]
水が清く澄み過ぎても、魚の餌もしないし、魚が隠れることができないので棲みつかない
[解釈]
あまりに清廉潔白すぎる人は、かえって周りから親しまれず孤立してしまうことがあります。堅苦しい人とはなかなか仲良くできないものです。
規則やルールが厳しいと息苦しいですし伸び伸びしづらいです。許される範囲での寛容さが必要です。だいたい良ければそれで良いくらいの気持ちでいいのかもしれません。
あまりにきれい好き過ぎても、今度は少しの汚れも我慢できなくなってしまい、常に掃除しないと気がすまないとか、どこか汚れた箇所がないかとか粗探しをし、気疲れしてしまいそうです。
[参考]
水清ければ大魚無しとは – ことわざ・慣用句
水清ければ魚棲まずとは|生活用語辞典

[中国古典一日一言]

今日の一言は「中国古典一日一言」守屋洋(著)から、同月同日の一言をもとに自分なりに追記や解釈して掲載しています。

コメント受付中です どなたでもコメントできますがスパム対策を施しています

タイトルとURLをコピーしました