「事実にはかなわない」堅白同異

堅白同異

―堅白同異―

[原文](荀子 脩身篇第二)
堅白同異
[書き下し文]
堅白同異(けんぱくどうい)
[原文の語訳]
堅くて白い石があっても見た目で白いことは分かるが堅さはわからない。手で触ると堅い事はわかっても色が白いのは分からない
[解釈]
辻褄の合わない無茶な論理を展開するということです。ただし事実の前では何の役にも立ちません。
問題が発生した時に「初動対応」や「原因の究明」よりも「犯人探し」を優先してしまうのが当てはまりそうです。
また一文のように「石(モノ)」と「白(色)」という個別の概念を一緒くたにするすることで、争点をずらして混乱させることになります。すり替えの論理ですね。
商品名が一般名称として浸透した例として、一般名称はステープラー、リバーシ、波消しブロックなどですが商品名の方がよく使われます。それ自体に役割は同じという事実の前では名称論争として比較的簡単に片付けられてしまいます。
信号待ちで停車している車に追突しました。ところが追突された方の車の運転手は無免許で飲酒運転だったことが判明。しかしそれであってもあくまで追突したほうの過失です。追突された方の運転手は別途、道交法違反で処罰を受けるのです。
昨今、ルールに対し「あるから守る」のか「守るためにあるのか」、じゃあルールがなくなったらどうなるのか?という議論もあります。
好きと嫌いは気持ちが違うものですが、結果として楽しいのなら好きも嫌いもあまり関係なくなるということです。楽しさを追求すればよいということになりますね。「楽しければいいじゃん」というのはそういうことかもしれません。
天職も決して好きな仕事とは限りませんし、実は嫌いな仕事かもしれません。ただ自身に適していて社会に継続して貢献できる仕事がその人にとって天職となるのです。
[参考]
堅白同異(ケンパクドウイ)とは – コトバンク

[中国古典一日一言]

平成27年(2015年)5月1日から平成28年(2016年)4月30日までの今日の一言は「中国古典一日一言」守屋洋(著)から、同月同日の一言をもとに自分なりに追記や解釈して掲載しています。

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