「教えてわかる己が未熟さ」学然後知不足、教然後知困

学びて然る後に足らざるを知り、教えて然る後に困しむを知る

―学然後知不足、教然後知困―

[原文](礼記 学記)
学然後知不足、教然後知困
[書き下し文]
学びて然(しか)る後に足らざるを知り、教えて然る後に困(くる)しむを知る
[原文の語訳]
学ぶことによって自分に欠けているところが分かり、教えることによって自分の未熟なところが分かる
[解釈]
最も学びが大きいのは、教えられる側ではなく、教える側なのです
人に教えるためには、まず自分が理解・実演できなければなりません。曖昧な説明では相手もしっかりと理解できません。
責任感がある人であれば「教えるのにいい加減ではダメだ」となるわけです。
学校の授業でも、生徒が先生役になって他の生徒に教えるという取り組みがなされているとこもありますし、研究発表や成果発表などを通じて子どもたちは一文の意味を実践を通じて体験しているのではないでしょうか。
よく「読んだ本の内容を人に教える」「本を薦める」ことは、内容を咀嚼して、自分の言葉で理解して伝える努力をするのに良い方法だと言われます。
[参考]
中卒社長「今日の言葉」 「礼記」~学記篇~

[中国古典一日一言]

今日の一言は「中国古典一日一言」守屋洋(著)から、同月同日の一言をもとに自分なりに追記や解釈して掲載しています。

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