平成26年11月3日(月・祝)に鳴海球場 銘板披露がありました

地元の人もあまり知らない?!日本初のプロ野球の試合開催地
平成26年11月3日(月・祝)に鳴海球場(現・名鉄自動車学校)において同球場の歴史を紹介する銘板披露 除幕式がありました。

日本初のプロ野球の試合開催地「鳴海球場」(名古屋市緑区)の歴史を紹介する銘板を、区が球場跡地を見渡せる道路沿いに設置した。三日、現地で除幕式があり、住民や区関係者ら六十人がかつての球場の姿を懐かしんだ。
鳴海球場を銘板で紹介 日本初プロ野球開催地 | 愛知 | 中部9県 | 中日新聞プラス

ちょうど、日米野球が開催される時期とも相まって、注目度は高かったようですが、なかなか地元の人でさえ「元々は野球場だった」ことはしっていても、日米野球や日本で最初にプロ野球の試合が開催された地というところまでは浸透していないようです。

1936年(昭和11年)2月9日には、日本初の職業野球(プロ野球)連盟に属する球団同士の試合[3]、「巨人渡米送別試合兼金鯱軍結成試合」として東京巨人軍(現読売ジャイアンツ)対名古屋金鯱軍戦が行われ、10-3で金鯱軍が勝利した。職業野球には名古屋から金鯱軍と、同年結成された名古屋軍(現中日ドラゴンズ)の2球団が参加したが、当時職業野球の公式戦は後楽園球場と阪神甲子園球場、阪急西宮球場の3球場を中心に開催されており、その後鳴海球場で戦前に行われた公式戦は1938年(昭和13年)4試合、1940年(昭和15年)8試合の計12試合にとどまった。
鳴海球場 – Wikipedia

昭和33年には閉場したので、自分が実際に試合を見ることはもちろんなかったのですが、野球少年がこの地を訪れて、思いを馳せる姿を思い浮かべると画になりそうです。

緑区には歴史を勉強するグループがたくさんありますが、今回はその中で「緑区の歴史を学ぼう会」会長さんの記事が平成26年11月14日の中日新聞朝刊 市民版に掲載されていました。

中日新聞朝刊 市民版より

中日新聞朝刊 市民版より

戦時中の手榴弾を投げさせられたことから生命線である右肩を痛めたというと、かの名投手「沢村栄治」投手も同じでしたね。

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