「有松の庄九郎」読了

有松の庄九郎

地元有松が題材

地元有松を題材にした「有松の庄九郎」を図書館にて借本し、一気に読了しました。

有松の庄九郎

有松の庄九郎

以前から気になっていて、読もうと思っていたのですが、図書館に訪れた際に探してもなかなか見つけることができませんでした。
今回、子どもと一緒に児童向けの書棚を見ていたら、目にとびこできたので即借しました。

書籍紹介

尾張の国・阿久比の庄。貧しい百姓家の若者たちは、新しい村への移住を決意する―。だが、丁寧に耕して開拓した土地は肝心の作物が育たなかった。藍の絞り染めの技術を獲得すれば、なんとか暮らしをたてることができるのではないか―生き残りをかけた庄九郎たちの試行錯誤の日々が始まる。

上記の紹介文を読むと気づかないのですが、冒頭は現代から始まります。
その辺り「あれ?」という気がしたのですが、課題図書になったということもあり、子どもへの取っ掛かりとして考えてのことなのかもしれません。

予想と違った内容

有松とあるので「絞り」に関する記述が大半かと思い込んでいたのですが、庄九郎と一緒に阿久比から移住してきた「人」を中心とした「有松という地域」と有松絞りの「成り立ち」がメインになっています。

大きな勘違い

正直に言いますと、絞り絞りと言ってはいますが特に関心を持って絞りや有松地区に関する歴史書を読んだことがありませんでした。
とりあえず「鳴海は愛知郡、有松は知多郡だった」という程度、ですので自分の中で大きな勘違いをしていたことに気付く貴重な機会になりました。
てっきりすでに村として成り立っていた有松にはこれといった地場産業品がなく、豊後国(現在の大分県)から移住してきた「庄九郎」が「豊後絞り」を伝えた。その後に続いて豊後から移住してきた三浦夫人が三浦絞りを考案したのだと思っていたのです。恥ずかしいくらいの大勘違いですね。もっと地元の歴史書を読み込まないと…。

要約すると「東海道の山道の何もない場所に集落を作るため、阿久比から移住してきた庄九郎がリーダー役としたグループが開墾をはじめた。しかし農作物の不作が続く。生活困窮の中で出稼ぎにいった名古屋城築城工事で知り合った豊後国の人の持っていた絞り物に魅せられて、有松の地で絞りを地場産業にしようと一念発起、試行錯誤の上で商品化に成功し軌道にのせていった。その後に、豊後国からやってきた三浦玄忠夫人により豊後絞りの技法が伝えられさらに発展した」という内容。


有松絞り会館横の有松絞りの開祖として「竹田庄九郎碑」


鳴海砦公園の鳴海絞りの開祖として「三浦之碑」

子どもでも読めるように絞りの技術に関する難しい記述も簡素化したようで、だからといって大人が読んでも充分な内容で全体を通してスムーズに話が流れます。
ただ、挿絵にはこれといった絞りに関するものがないので、文字だけでの絞り柄の説明は子どもにはイメージしづらいかもしれません。

なるじんで野球や花見をしてた

昭和52年の航空写真

鳴海にあるんですが、なぜか「成海」な神社です。
自分たちは「なるじん」と呼んでました。支持される人や物は略されて呼ばれるそれです。

ヤマトタケルノミコト(日本武尊)と縁のある神社、もともとは500mほど南にあったそうですが、鳴海城築城にともなってここに移転されたそうです。

新年、年が変わる頃には初詣客が鳥居を越えてバス通りまで伸びているそうで、元日の午前中は駐車場待ちの渋滞が花井の交差点まで続くそうです。
「そうです」ってのは、行ったことないんですよね。
子どもの頃は近所に住んでたし、今はすぐそばで仕事してるんですが、家業の関係で年越しに関しては全く縁がないのです。

で、子どもの頃の話になると、この「なるじん」の駐車場で野球をやった記憶が蘇ってきます。
左打ちがいないメンバーだったこともあり、大リーグの特殊な球場じゃないですがライトが極端にせまくても打球が飛んでいかないから気にしない、でもプラスチックバットでパッカーンと打つと、まれにセンターの頭を大幅に越えて道路まで飛んでいったりして。そんな時はさっさと逃げるわけです。
そのうち、東海銀行(現在 三菱東京UFJ銀行)鳴海支店の建て替えにともなって、駐車場の北半分に仮店舗と建設されて、来店客の車がひっきりなしにくるようになって危険性が高まりあえなく(個人的に)閉場となりました。

昭和52年の航空写真

昭和52年の航空写真

昭和52年の航空写真を見ると、駐車場はまだ敷地東の砂地になっています。
鳴海商工会館、緑消防署鳴海出張所、緑ふれあいセンターもまだありません。

昭和60年の航空写真

昭和60年の航空写真

昭和60年の航空写真になると、駐車場の一部に建物と駐車場が写っています。
これが東海銀行の建物と駐車場。
その北側に緑ふれあいセンターもできあがっています。


今は駐車場もアスファルト舗装など整備されてますが、以前は通り沿いも桜の木が植えてありました。

そうなると日常から行くことも少なくなって、秋祭りや節分、茅の輪くぐりなどの季節の行事くらいでしか行かなくなってしまうんですよね。
他に楽しみというと春になると駐車場で花見をしたり。
車のヘッドライトを灯りにわいわいやってましたが、あれもゴミをそのまま放置していく輩が目立ったのかいつの間にか夜間は立ち入り禁止状態になって行かなくなりました。
一時期は一定の時間になるとチェーンを掛けられるという話も聞きましたが、いまはどうなんってるんでしょうかね。近いのに現状を知らなすぎ。
それでも花見シーズンになると休憩時間にでかけて撮影するんですが、平日の午後でも数組の人が参拝とあわせて桜の木を撮影されています。

昭和50年代までは朝市もやってまして、今で言う軽トラ市みたいな感じです。
車同士をテント屋根で繋げていたので子どもながらにちょっと闇市的な雰囲気もあった印象がありますが、現地からラジオの生中継が何度か行われたこともあって、人出も多かった記憶があります。

それから、現在、敷地の東北部分には緑消防署の鳴海出張所と月極などの駐車場になっていますが、池と少し前まではふれあいセンターというコミュニティセンターがありました。
あの池はなにか意味があって作られていたのか今思い返すと不思議です。
その駐車場の脇にもありますが、敷地内のは石碑が数多く立っているので、時間があるときに見て回るのも一考です

ちなみに平成9年などには秋季例大祭の日に駐車場で打ち上げ花火があがったことがあります。
ちょうどこの日、ウチ、開店日だったんですよ。
開店祝いにどデカい花火を打ち上げてもらって、そりゃあもう、注文が全く聞こえない。なんてこともwww

はじめに…気がつけばずっと緑区に住んでる

もうすぐ40になろうとしていた平成26年末、図書館で目に止まった本があった。
「気がつけばチェーン店ばかりでメシを食べている」というタイトルがそれ。
書物紹介文には「著者が通いすぎた、愛しすぎたチェーン店35軒の魅力を語る。」と書かれていました。

そういえば自分ももう40年、引っ越しはしたものの生まれてこの方ずっと緑区に住んでいるなぁと思い返すとともに、なるぱらも運営していることだし、せっかくならこの40年を振り返って、思い出のある場所を紹介していこうかなと考えました。
なお、記憶力がよくないし曖昧だし、内容が正確でない可能性は多々ありますが、少しづつ綴っていきますのでお付き合いいただければ幸いです。
古い写真はあまりないので、その地点の現在とGoogleストリートビューを使っていこうと思います。

生まれてから20年近く住んでいた付近。
自宅は取り壊され新しい住宅となっています。